渡す/受け取る

ネットワーカー・新潟支部 vol.05
原 亜由美
ART BRIDGEのロゴがプリントされたバッグを肩にかけ、この1年は積極的に旅に出た。書くことを集めるために書く時間がなくなるというパラドクスに陥りつつも、充実した日々であった。
つい先日は名古屋を訪ねた。2016年が『あいちトリエンナーレ』の開催年だったこともあり、東京を除くと、この1年は名古屋を訪ねた回数が一番多い。12月には東京で『ブリッジトーク ブリッジの作り方シリーズ12 | トリエンナーレ・シンドローム編』が行われた。シンドローム、すなわち症候群とは、苦労と比例した達成感の大きさから芸術祭運営に関わりつづける人が多いことと、シンドロームの語源が“共走”であることから来ている。名古屋の港湾地区で活動する『港まちづくり協議会』も、トリエンナーレの共走者たちが多く参加している。
2017年明けてすぐ、名古屋でオルタナティヴ・スペース『パルル』を運営する新見永治さんが、同じく名古屋の『港まちづくり協議会』のメンバーと新発田を訪問したい旨の連絡をくれた。新見さんは『写真の町シバタ 2016』会期中に新発田を訪ねてくれて、その後旅したアジアで新発田のことを思い出したという。新見さんいわく、アジア新興地域は来る繁栄の予感に満ちているが、日本と同様、遠からず成長の終わりを迎える。数十年ずつ時代がズレたような場所が、今現在、地球上に同時に存在している。今の日本がアジアに示せるのは成長後のモデルではないか。日本と言っても同じ中部地方ながら新潟・新発田と愛知・名古屋は対照的だ。いわゆる“まちおこし”を必要とする中小都市・新発田には、名古屋のような大都市やアジア新興地域にとって、先行例として学ぶべきことがあるのではないか、ということだった。わたしも2016年夏、マレーシアで企業メセナ協議会主催の『クアラルンプール会議』を見学し、ペナン島の芸術祭視察に行ったばかりなので、新見さんのおっしゃることはよくわかった。港ディレクターが、新聞紙上に寄稿した新発田についての論考(2016年12月19日読売新聞朝刊文化欄「考景2016」)でも述べられていたが、新発田には未来の変化のヒントがあるのかもしれない。
こうして、この1ヶ月の間にわたしたちは新発田、名古屋を相互訪問し、わたしは名古屋で協議会の拠点である港まちポットラックビルを訪ねた。産業港として開かれた名古屋港周辺は、港湾労働者を支えるまちであって観光地ではない。同じく生活都市で開催された『さいたまトリエンナーレ 2016』で、芹沢高志ディレクターの“日常の想像力”という言葉が、名古屋の港まちにもしっくりくる。名古屋で、光の感じが訪ねたばかりのロサンゼルスに似ているとわたしが言うと、両者は姉妹都市だと新見さんが教えてくれた。一説には旅支度の足結う地から“あいち”となったとも言われる土地で、前後の旅がつながった気がした。地理的移動に過ぎなくとも時間的移動を伴ったような感覚を生む旅の場所がある。日常の旅の場所にアートがあり、次の旅へと橋が架けられる。
原 亜由美
1975年新潟県新発田市生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史専攻卒。大学在学中に音楽雑誌出版社編集部アルバイト勤務後、映画宣伝会社を経てレコードメーカーで音楽CDジャケット、パッケージ等の制作業務を担当。2007年フリーランスの制作コーディネイターとして独立、写真展等の展示企画にも携わる。
東日本大震災と前後して東京から活動拠点を地元・新発田市に移す。東京での活動を継続しつつ、2013年より写真の町シバタ・プロジェクト実行委員会に参加、事務局運営に従事。2014年度より敬和学園大学新発田学研究センター一般研究員の他、授業助手や地域コーディネイターを兼務。
2015年度BRIDGE STORYライター。2016年度ABIネットワーカーとしての活動と並行し、新潟のハワイ移民等、土地と記憶にまつわるテーマについてリサーチ中。
ネットワーカー・新潟支部 vol.04
原 亜由美
Art Bridge Instituteの活動が文字通りの橋渡しとなって、2016年秋『福島写真美術館成果展プロジェクト+新発田』が開催された。
はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト成果展は、2016年から2017年にかけ、それぞれの内容で、長岡、新発田、松本、水俣、福島と巡回した。巡回展という旅の寄港地のひとつに、新発田を選んでもらえたことがうれしい。そしてその巡回展は、わたしを新たな旅へと連れ出してもくれた。2016年11月には避難区域をめぐる福島の視察に参加し、翌月には新発田の後の松本での展示にも足を運んだ。場所が変わると見方も変わる。巡回展のスタイルが、かつての場所に戻れないでいる人へと思いを向かわせる。

新発田での展示に写真家・岩根愛さんの『Island on my mind』という360度回転式カメラ、コダック・サーカットで撮影された福島のパノラマ写真シリーズがあった。このパノラマ写真は、1900年から1970年頃、ハワイの日系移民の間で流行したものだ。岩根さんはパノラマ写真をはじめとする日系移民文化に触れ、フクシマオンドのボンダンスを題材にした『ハワイ島のボンダンス』を担当するなど、写真家の枠を越えた活動をしている。新潟と福島は、ハワイをはじめ南北アメリカに、東日本最大規模の移民を送り出した土地だ。
2017年1月にアメリカ、ロサンゼルスで開催された『Transit Republic』の展示に岩根さんのパノラマ作品も出展されることとなり、わたしもリサーチと合わせて渡米した。『Transit Republic』については、2017年3月発行の『ART BRIDGE 05』の特集に詳しい。アジア太平洋地域のメンバーがL.A.で邂逅し、それぞれのテーマを重ねる。奇しくもトランプ政権誕生の瞬間を挟み、境界線をもたない場と関係性のインスタレーションに立ち会えて、とてもわくわくした。
L.A.で、そこかしこにビルボードを見かけた映画『ラ・ラ・ランド』を、帰国後、夜の映画館で観た。『ラ・ラ・ランド』ではシネマスコープが採用されている。高台からのパノラミックな風景やミュージカルならではの群舞がスクリーンに映え、カメラが360度に回転するシーンもある。わたしは日系移民のパノラマ写真を思い出していた。短いL.A.滞在中、ギャラリーだけでなく日系移民博物館や日米文化協会を訪ね、資料を集め、人と会った。日系移民は冠婚葬祭などの記念としてパノラマ写真を好んだ。故郷を離れて、こんなに大勢の人と新しくつながった、その光を焼き付けておきたかったのだろう。新しい土地で、夢を、たしかに見ていた人たちがいる。旅のもたらすパノラミックな視野とネットワーク、移民とはネットワーカーの先達であると感じた。
原 亜由美
1975年新潟県新発田市生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史専攻卒。大学在学中に音楽雑誌出版社編集部アルバイト勤務後、映画宣伝会社を経てレコードメーカーで音楽CDジャケット、パッケージ等の制作業務を担当。2007年フリーランスの制作コーディネイターとして独立、写真展等の展示企画にも携わる。
東日本大震災と前後して東京から活動拠点を地元・新発田市に移す。東京での活動を継続しつつ、2013年より写真の町シバタ・プロジェクト実行委員会に参加、事務局運営に従事。2014年度より敬和学園大学新発田学研究センター一般研究員の他、授業助手や地域コーディネイターを兼務。
2015年度BRIDGE STORYライター。2016年度ABIネットワーカーとしての活動と並行し、新潟のハワイ移民等、土地と記憶にまつわるテーマについてリサーチ中。
ネットワーカー・沖縄支部 vol.06
町田恵美(フリーランスエデュケーター/コーディネーター)
John Tainさん(右)とIdurre Alonsoさん(左)
Art Bridge Institute主催の「TRANSIT Republic」に参加するため、一月下旬アメリカ、ロサンゼルスに渡った。プロジェクトの全容については『ART BRIDGE05』に詳しいと思うのでそちらを楽しみにされたい。その一環として行われたリサーチの際に、雑誌を持参した幾つかの場所と人について備忘録を兼ねて記しておこうと思う。

小高い丘の上に建つゲティセンターミュージアム(以下、ゲティ)は、一日あっても足りないといわれるほどの収蔵品を誇る美術館だ。展示スペースもさることながら、今回はスタッフであるキュレーターのジョン・テイン(John Tain)さんの案内でバックヤードを見せてもらう。眺めのいいオフィスや充実した書庫、彼の専門とする写真のアーカイヴが揃った収蔵庫など、その規模に驚くばかりだ。スタッフルームでもうひとりキュレーターのイドゥレ・アロンソ(Idurre Alonso)さんが加わり、彼女が現在企画をすすめている展覧会の話などを聞く。

ふいに彼女から質問があった、「あなたにとってエデュケーション(教育普及)とは?」。ゲティではエデュケーション部門が置かれていない。彼女はキュレーターでありながらエデュケーションの重要性を十分に認識して、自身の立場でできることを考えていた。
教育は誰にとっても平等にある権利である。しかし、現実ではそういかない場合も多いことも理解している。そして、学校ではできないことを美術館が担うことができればと以前から思っている。それは、館に足を運ぶ人を増やすだけではなく、それが叶わない人たちに対しても館の外で芸術活動を広めていく取り組みを重視したいという思いにつながる。(もちろん館内にて作品を鑑賞する機会も重要であると承知している。)。アウトリーチと呼ばれる、地域の人と共同して進めるプログラムや、学校に出向いて授業やワークショップを行う試みがある。その体験は、一過性のものに過ぎないだろうか。私はそうは思わない。そこで得たことを経験とし、すぐには効力を発しないとしても記憶に刻まれ、後からきっと思い出すと確信している。何にしても、出会うのと出会わないのとでは結果が異なると思う。だとしたら、ひとりでも多くの人が芸術に出会う機会があればと願うのだ。

ART BRIDGEの雑誌という形態も「移動」するという意味では、普及の理に適っている。この雑誌を介して、こんな遠くまで来た。そして、届けると同時に私自身が多くのことを受け取っていることを実感するのだ。
ゲティセンターミュージアムからの眺め
町田恵美(フリーランスエデュケーター/コーディネーター)
1981年沖縄県生まれ。沖縄県立博物館・美術館の教育普及担当学芸員を経て、今春よりフリーとなる。沖縄を拠点に、興味関心の赴くまま県内外を行ったり来たりしながら、沖縄(との関わりなど)について考えている。あいちトリエンナーレ2016コラム展示「交わる水―邂逅する北海道/沖縄」共同キュレーター。Okinawa artist interview projectメンバー。
ネットワーカー・東京支部 vol.02
高野英江(エデュケーター)
7月下旬に、インターンプログラムの一環として、根津にあるコミュニティスペース「アイソメ」にお邪魔してきました。アイソメは関東大震災を乗り越えてきた築100年ほどの6軒長屋の一角にあります。周辺には古民家を改装して出来たギャラリーやお店が集まり、昔の街並みの残り香が感じられる場所です。私もよくお参りに行く根津神社の近くに位置し、年に一度行われる根津神社例大祭の神酒所になる場所でもあります。そんな町にとって拠点となる場所に住む人がいなくなってしまった時に、その役割を守っていくため、アイソメができました。
この日は、アイソメの運営メンバーでもある、建築家の栗生はるかさんにご案内いただきました。栗生さんは、子どもの頃に神田祭に参加し、道路としてしか使われていなかった公共空間が1日にして「お祭り」の場に転換するという体験から、公共空間を最大限豊かに使うことを、研究してきたそう。その中でも、地域の魅力を建築的視点から再発見し発信していく団体「文京建築会ユース」として、地域のコミュニティ拠点である「銭湯」にスポットを当て、その保存・再生活動をしています。実測をして図面に残したり、廃業前の銭湯の見学会を開催し記録をとったり、銭湯にあったタイルやペンキ絵を保管したりとその方法は様々です。栗生さんが仰るには、銭湯には会社仲間やご近所さんとも違う独自のコミュニティがあり、その場所がなくなるということは、その人たちが会うことのできる場所がなくなってしまうという意味でもあります。しかも銭湯帰りの人が寄っていくことで周りのお店が成り立っているなど、銭湯を中心に街の生態系が出来上がっているのだそうです。色々な「点」があることで出来る「面」を保存していくことが大事だという、栗生さんの言葉が印象に残りました。
アイソメのスペースは、決まった使い方はなく、子どものワークショップや、大人向けの勉強会が行われたりと、使う時や人によってその役割を変えていきます。こうした余白のある場所をつくることによって、出来るだけ多くの人と同じ場所を愛でていくことが出来るのではないかと思いました。昨今、物があふれていて、ほしいものは自分だけで持つことができる時代です。アイソメは、物や場所、その背景にある歴史や関係性をみんなで守り、一緒に愛でていくということの心地よさを感じさせてくれる場所だと思います。そんなアイソメにも「ART BRIDGE 03」をお届けしてきました。アイソメを通して「ART BRIDGE 03」もたくさんの人に共有していただけたら嬉しいです。
高野英江(エデュケーター)
1989年茨城県生まれ。2012年、お茶の水女子大学文教育学部人間社会科学科卒。
2014年、東京大学大学院教育学研究科総合教育科学専攻生涯学習基盤経営コース修了。在学中に、生涯学習・社会教育を勉強する傍ら、アートプロジェクトに関心を持つようになる。2014年より川崎市岡本太郎美術館にて、教育普及事業を担当。2015年度より、Art Bridge Institute(ABI)のインターンとして活動。2016年度は、ネットワーカーとしてABIの活動に関わるようになる。
ネットワーカー・沖縄支部 vol.05
町田恵美(フリーランスエデュケーター/コーディネーター)
港まちポットラックビル 1Fラウンジスペース
今年の夏は、愛知によくいた。「あいちトリエンナーレ2016」でひとつ企画に関わらせてもらっていたのだ。この時期、愛知では他にも幾つかイベントが行われており、名古屋港に隣接する港まちのエリアでは、9月の中旬から一か月ほどの会期でアッセンブリッジ・ナゴヤが開催されていた。
音楽と現代美術のプログラムで構成されたアッセンブリッジ・ナゴヤのアート部門は、Minatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]が手掛けた。MAT,Nagoyaは、近くに貨物船などが寄港する港があり、古くからの商店街が残る、この港まち地域をフィールドにしたアートプログラムなどを行う。商店街の一角にある旧文具店ビルを改装したMAT,Nagoyaの活動拠点、港まちポットラックビルは、展示だけでなく、プロジェクトやイベントも行える設えになっている。1Fのラウンジには本棚があり、腰かけてくつろげるようになっている。ART BRIDGEも読むことができる。
アートによる地域活性化が蔓延するなか、MAT,Nagoyaの掲げる「アートそのものは、まちを変えるためには存在していません」という考えは、地域としっかり向き合う構えのあらわれだと思う。まちがアートを受け入れる、すぐにとはいかないだろうけど、じわじわと浸透して、アートとの出会いを楽しむ関係を築いていく「まち」になるのではと期待する。
実際、まちなかで開催されている展覧会「パノラマ庭園―動的生態系にしるすー」をマップ片手にまわっていたとき、番号が振られている作品が見つけられず、近くにいた地元の方に尋ねると「これこれ」と慣れた口調で教えてくれた。きっと何人にも聞かれているんだろうなあと思わず顔がほころぶ。
また、参加作家のひとり、下道基之の《見えない風景》は、展示室に置かれた言葉の地図を頼りに、言葉が示す目印を探しながらまちを散策する。その風景は、どこかヘンテコで可笑しい。見慣れて日常と化していることを、改める。疑ってみる。視点を変える、そのことで、いままで見えていなかった風景が現れる。新しい風景との出会いは、「まち」を楽しむ術として効果的といえるだろう。
下道基之《見えない風景》、言葉の地図より「見えない窓」
町田恵美(フリーランスエデュケーター/コーディネーター)
1981年沖縄県生まれ。沖縄県立博物館・美術館の教育普及担当学芸員を経て、今春よりフリーとなる。沖縄を拠点に、興味関心の赴くまま県内外を行ったり来たりしながら、沖縄(との関わりなど)について考えている。あいちトリエンナーレ2016コラム展示「交わる水―邂逅する北海道/沖縄」共同キュレーター。Okinawa artist interview projectメンバー。
ネットワーカー・沖縄支部 vol.04
町田恵美(フリーランスエデュケーター/コーディネーター)
tomariでのイベントの様子
何人かから連絡があった。―「タイのキュレーターが沖縄にリサーチに行くんだけど連絡先を教えていい?」ふだんなら「もちろん」、と即答するのだが、ちょうど幾つかの案件が重なっていて少し返事をためらっていた。でも、いつ来るか日程くらいは聞いておこう、と思い直して返信をした矢先、「もう来てるみたいだよ」と別口から連絡があった。数日後、急きょ開催が決まったというイベントの案内を本人からもらい、改めて挨拶を交わした。
タイで「The Reading Room」(以下、Reading Room)というスペースを運営するkyoさんは、半年間日本のオルタナティブスペースの調査を目的に来日していた。全国幾つかのスペースを訪ね歩き、人に会い、取材を行う。間もなく半年の調査期間が終わるという頃に沖縄に来た。
イベントを実施したtomariというスペースは、前身のOCAC(沖縄コンテンポラリーアートセンター)から名称を一新して、複数のメンバーで共同運営している。メンバーのひとりが彼女と知り合いで、Reading Roomの活動とタイの社会状況を紹介するトーク内容だった。
誰でも本を借りることができて、様々なイベントを行うReading Roomの活動もとても面白かったのだが、常に軍の監視の下にあるタイのお国事情に驚いた。タイでは頻繁にクーデターが起こり、検閲の対象はアートにも及ぶ。実際、Reading Roomでイベントを行った人のなかにも、国からマークされている人がいるという。そういった現状にありながらも、いやだからこそ自分たちの表現活動を行える場所としてReading Roomは彼らにとって必要なのではないか。
大きなものに取り込まれてしまいそうになったとき、しっかりと立っていられる足場を確保しなければいけない。時にそれが困難に思え、どうしていいかわからなくなるときがある。それでも従うではなく、抗うという行為の背景には譲れない何かが存在するのだ。
滞在中に辺野古や高江に足を延ばしたという彼女の目には、沖縄の現状はどう映ったのだろう。そんなことを思いながら、沖縄のことをタイの人たちにも見てもらえたらと辺野古の写真が載っている02を含むART BRIDGEを渡した。今頃、Reading Roomの本棚に並べられ、誰かの手に取ってもらえているだろうか。
台湾料理店で朝ごはん
町田恵美(フリーランスエデュケーター/コーディネーター)
1981年沖縄県生まれ。沖縄県立博物館・美術館の教育普及担当学芸員を経て、今春よりフリーとなる。沖縄を拠点に、興味関心の赴くまま県内外を行ったり来たりしながら、沖縄(との関わりなど)について考えている。あいちトリエンナーレ2016コラム展示「交わる水―邂逅する北海道/沖縄」共同キュレーター。Okinawa artist interview projectメンバー。
思えば過去 2回とも天候に恵まれず、3回目にして初めて傘のいらぬ夏らしい陽気のなか活動日を迎えることができました。

今回はまず、地域サロン「アイソメ」への訪問報告から。
文京区根津の藍染大通りに面する築100年の長屋は改装され、昨年の4月にアイソメとして生まれ変わりました。以前より利用されていた根津例大祭での神酒所としてのほか、現在ではシェアオフィスやイベントスペース等さまざまな顔をもっていっています。そこで7月に、ABIインターン数名で、アイソメの運営メンバーである栗生はるかさんにお話を伺ってきました。そのときの報告会を行ったところ、栗生さんがアイソメへと携わるきっかけとなった、銭湯の保存活用である「銭湯プロジェクト」に関心が集まりました。また、「地域のアイデンティティを可視化する」「地域にあるものを点でなく面で残したい 」など、印象的だった栗生さんの言葉がいくつも挙がり、充実したリサーチであったことがうかがえました。
続いてインターン活動の今後の展開について話は移り、自由に意見を出し合った結果 「ART BRIDGEに携わる方々のお話を聴いてみたい」「 外部へのリサーチ活動をさらに設けていきたい」という積極的な提案が挙がりました。
最後に「自分にとってのアートとは?」というテーマを掲げ、フリートークを交わしまし た。音楽や踊り、民俗学などを通してアートに歩み寄ったという各々の話に、みんな興味深く耳を傾けていました。前回のリーディング会同様、こうして境遇の異なるメンバー同士の意見が点と点で結ばれ、新たなかたちをみせてくれる瞬間はあらためて面白いなと感じまし た。
このよう に回数を重ねるごとに、率直かつ意欲的な意見を投じやすい空気が形成されつつあります。芸術祭やアートイベントへ参加しているメンバーも多数いるので、今後そのようなインターン外での活動なども情報交換していければ、 さらなる活性化が期待できるのではないでしょうか。
高橋 茜(ABIインターン)
8月11日(木)19:30〜21:00
3331 Arts Chiyoda
ネットワーカー・東京支部 vol.01
高野英江(エデュケーター)
「日本仕事百貨」というサイトをご存知でしょうか。そのサイトには、全国のさまざまな職種の求人情報が載っているのですが、ただ仕事の条件だけが書いてある、普通の求人サイトではないのです。求人をしている会社を丁寧に取材した、そこで働く人の個性や職場の雰囲気が見えてくる素敵な文章で紹介されています。私たちは自分の仕事を分かりやすい言葉で表現してしまいがちですが、「日本仕事百貨」を読んでいると、一言では伝えられない、こんなにもさまざまな働き方、そしてそこから見えてくる生き方があったのかと気付かされます。
そんな「日本仕事百貨」の運営会社「シゴトヒト」は、清澄白河に「いろんな生き方・働き方に出会うことのできる小さな街」として「リトルトーキョー」というスペースを持っています。リトルトーキョーでは、毎回さまざまな職業のゲストが1日バーテンダーになり、お客さんと気軽に話ができるというイベント「しごとバー」が定期的に開催されています。5月のはじめ、「日本仕事百貨」でライターをしている後藤響子さんが「しごとバー」でカウンターに立つと知り、リトルトーキョーへお邪魔してきました。後藤さんと私は、昨年一緒にABIのインターンをしていました。インターンプログラムの中で、トークイベントのレポートを書く活動があったのですが、私は後藤さんの書く、強すぎることも弱すぎることもなく、芯が通っていて、すんなりと身体に入ってくる文章が好きでした。後藤さんの文章と、日本仕事百貨やリトルトーキョーという場所が持つ空気感は、とても似ているような気がします。その日のリトルトーキョーは、常連さんやTwitterを見てふらっと立ち寄ったという方など、さまざまな方が集う空間になっていました。リトルトーキョーに来れば、お酒をのみながら、良い意味での他者に自然と出会えるかもしれないという期待感が、人を集めるのかもしれません。
後々、リトルトーキョーに本棚をつくる予定だとうかがい、今回『ART BRIDGE 03』を後藤さんにお渡ししてきました。さまざまな生き方との出会いを大切にするリトルトーキョーに、ジャンルを超えた出会いの実験をする『ART BRIDGE』が介在することで、何かが生まれるかもしれないと思うと、今からリトルトーキョーに『ART BRIDGE』が並ぶ日が楽しみです。
高野英江(エデュケーター)
1989年茨城県生まれ。2012年、お茶の水女子大学文教育学部人間社会科学科卒。
2014年、東京大学大学院教育学研究科総合教育科学専攻生涯学習基盤経営コース修了。在学中に、生涯学習・社会教育を勉強する傍ら、アートプロジェクトに関心を持つようになる。2014年より川崎市岡本太郎美術館にて、教育普及事業を担当。2015年度より、Art Bridge Institute(ABI)のインターンとして活動。2016年度は、ネットワーカーとしてABIの活動に関わるようになる。
ネットワーカー・台湾支部 vol.01
呂 孟恂
1.「交陪芸術誌」とは

2017年1月15日から、台南にあるアートスペース「蕭壠文化パーク」で開催する「台南信仰芸術祭」のため、一年以上にわたるリサーチやインタビュー、そして編集を経て、『交陪芸術誌』(Kau-Puê)が2016年3月18日に刊行された。
「交陪」とは、台湾語で「互いに助け合い、何かを共に一緒に作ることで関係を繋いでいく」という意味だ。『ART BRIDGE』とも意味が近いように思い、『交陪芸術誌』を紹介するレポートを書いてみたいと思った。

この雑誌は、すでに「芸術作品」と認識されているものを文献によって考察するのではなく、範囲を限定しないフィールドワークによって、民間信仰や伝統的な民間芸能の中にある芸術性を探るものだ。
全四号に、美術評論家、研究者、アーティスト、民間芸術の伝承者など、総勢二十二名のインタビューや寄稿を掲載しており、それらは文献だけではなく、祭などのフィールドワークを通じた出会いから、編まれた人選だという。

『交陪芸術誌』の二号で紹介したなかに、張徐展(チャン・シュシャン)という若いアニメーターがいる。彼の作品は一見すると、紙でつくった人形やものを、ねじり、壊し、観た人に強い混乱や不快感、虚脱感など、心が滅入る感じを与える。なぜ彼はこのような作品をつくるのだろうか?
リサーチをしていくなかで、張徐展の作品と、彼が「紙紮技芸」の家の出身であることが繋がっていく。
「紙紮」とは、道教の葬式において、死者のためにつくる紙細工のことだ。故人の生前の暮らしや、興味関心に合わせて、家や車、生活必需品、娛楽用品、僕人(召使い)やペットなどを模してつくる。道教では、「人は死んだあと、西方極楽浄土へ向かう」という観念があり、死者はこの世界から離れて、別の世界で新しい生活を送ると考えられている。「紙紮」を葬式のあとに燃やすと、死者の世界において使えるものになると考えられており、必要不可欠なものであった。しかし時代の移り変わりにより、「紙紮」の風習の衰退を目の当たりにした張徐展は、家族にとっての自分と、アーティストとしての自分が相互に影響しあい、作品をつくるという。


2.「近未来の神々」

故人により、多種多様な「紙紮」が用意されるのだが、「金童玉女」という二人の男女のこどものかたちをした紙紮は、必ず用意されることになっている。この二人の金童玉女は、「金童接引西方路」(※1)「玉女隨行極楽天」(※2)という対聯(ツイレン)を手にしている。伝説では、人々が死んだ後、玉皇大帝(※3)が金童玉女を死者のもとへ迎えに行かせて、極楽浄土までの道案内をさせると言われている。死後の世界の中に、特別な「肉身」(生身のからだ)があると思われている道教では、死者の世界が生者の世界と同じ暮らしをしている状態が想像されており、「引接」(※4)の姿は、死後の肉身の存在を表している。

『交陪芸術誌』の編集長、龔卓軍氏(台南芸術大学准教授)は、「台南信仰芸術祭」のコンセプトとして、

「伝統的な民間信仰の芸術表現の中には、過去の宗教に対する郷愁ではなく、近未来の神々に向かう、潜在的な可能性がある。さまざまなメディアや新しい世代のアーティストによって、一つの芸術様式になる。」(「近未来の神々」『交陪芸術誌』一号より)

と寄せている。すなわち、民間信仰の芸術表現の中にどのようなアートが立ち現れるのかを思考していきたいと考えているのだ。コンテンポラリーアートによって、それらの文化に隠れている現代性を引き出し、具体的な芸術表現に転換する。この『交陪芸術誌』もまた、民間信仰における、芸術の肉身を表しているだろう。

※1金童が迎えに来て、西方浄土へ連れて行くこと。
※2極楽浄土への旅を、玉女が随行する。
※3中国道教における最高神
※4金童玉女が死者を迎えにくること



3.『交陪芸術誌』のつくりかた

『交陪芸術誌』の編集方法にはいくつかの特徴がある。
一つ目は、「インタビュー」とその編集の方法。インタビューは一対一でなく、グループでおこなった。質問も限定せず、話し合いをしながら進めたので、一人のインタビューに一日中かかるのは珍しくなく、時間と体力が必要だった。しかし、その分、予想外の収穫もたくさんあった。
編集者がインタビューの内容を元に、書いた文章もある。どちらも、整理したものを何度も確認し、討論をしながら進めていった。

二つ目は、テキストを中国語と英語の二カ国語で掲載したことだ。そのため、中国語の原稿を最終確認してから英語の翻訳を進める必要があり、最終校正までに、何度も修正が必要になった。台湾の民間芸術や信仰文化、例えば「布袋戲」(プータイシー※5)や「茭杯」(ブァッベイ※6)などの固有名詞は、国際的なものではなく、英訳が存在しない場合も多い。正しく世界に伝えるために、7人の優秀な翻訳者が参加し、思考をしながら、慎重に英訳を進めた。

三つ目は、制作チームの構成。編集は四つのチームに分かれて互いに協力をしながら、作業を進めた。編集(編集長、編集者)、行政(進行管理、経理)、美術編集(デザイン、写真)と翻訳(翻訳、英語校正)である。制作チームのメンバーは、「一人で複数の異なる作業を遂行する」や「フラットな立場での共同作業」というスタイルを大切にした。もし二ヶ国語の展開や、編集方法がこの雑誌に綺麗な骨組みを与えたなら、このチームでの作業は血と肉を与えたと思う。
こうして完成した『交陪芸術誌』は、「印刷物による展覧会」を体現するものになった。

※5 台湾の民間芸能の一つで、布で作られた人形の芝居
※6 中華圏で使用される、占いの道具



4. 傀儡子としての『交陪芸術誌』

平安時代から、日本の芸能史には、流浪の民や旅芸人が登場する。そのなかには、「傀儡子」という狩猟と傀儡(人形)を使った芸能を生業とした集団がいた。(大江匡房著『傀儡子記』)

「芸能によって生計を営む集団であり、一部は寺社普請の一環として、寺社に抱えられた「日本で初めての職業芸能人」ともいわれている。」
(Wikipediaより引用)

それゆえに、「傀儡」とは主に操り人形の意味ではなく、彼らは諸国を旅し、木の人形によって、各地の信仰と文化を拡散させ、各地の庶民の息を接引する担い手であった。つまり、庶民の霊と精神がある肉身の再現である。
コンテンポラリーアートを玉皇大帝に喩えるならば、『交陪芸術誌』は玉皇大帝が派遣した金童玉女のように、生活のなかに隠れているアートを迎えに行き、近未来ヘと連れて行き、その現代性を見せる。

『交陪芸術誌』という印刷物も、未完成な、潜在的エネルギーが充満する台湾の伝統的な芸術文化のなかで、傀儡子のような役割を担うと思う。『交陪芸術誌』は、国境がない土地を旅するように、民間に、広域に散らばるものを拾い、紙によって台湾の生活のなかにある、伝統的な芸術文化を再現するのだ。



呂 孟恂
台湾・台北市生まれ。国立成功大学芸術研究科修士課程在籍中。2013年、『身体の道・舞踏志異プロジェクト』に参加し、中日通訳を担当。14年『絶対不純粋 東アジアの論壇:報民/AABB―台南/東京交流プロジェクト(Absolutely Impure East-Asia Forum: POST News/Art Against Black Box—Tainan/Tokyo Exchange Project)』において通訳ディレクターを務める。同年『r:ead#3 レジテンス・東アジア・ダイアログ計画』においてアシスタント・ディレクターを務める。雑誌『芸術観点ACT』に不定期に掲載される宇野邦一や港千尋等の翻訳を担当する。
ネットワーカー・新潟支部 vol.03
原 亜由美
日本では7月に参院選、東京都知事選と続いた。イギリスではEU離脱派が国民投票を僅差で制し、来る11月には注目の候補者同士によるアメリカ大統領選を迎える。一票を投じる行為について、意識が高まっている時期と言える。
そんななか、「巻原発住民投票」から20年を迎える旧・巻町(現・新潟市西蒲区)では、この夏、『巻原発住民投票から20年 〜明日の巻地域を考える〜』と題されたシンポジウムが行われる。また、旧・巻町に隣接する「新潟市岩室観光施設いわむろや」では、資料展『巻原発の発表から住民投票が終わるまで』が、開催中だ。

会期前日、設営中の会場に、主催の一人、斉藤文夫さんに会いに行ってきた。斉藤さんはもはやわたしの連載のレギュラーのようである。展示の写真や資料は圧巻で、当時「民主主義の学校」と称された巻の住民力を思い知らされた。この力は一体どこから湧いてくるのだろうか。土地に由来している気がしつつ、具体的にそれが何であるのか掴みきれないまま、わたしは巻に通い続けていた。
設営の手伝いをしていると、巻という地名の話になった。かつての信濃川は低湿地に入るとだらだらと広がり、海へ流れ込もうとする。ところが角田山に遮られて、流れを変えざるを得なかった。そのため、流れを巻き返す土地ゆえに巻とする説があるという。斉藤さんの話を聞きながら、わたしは「それだ」と思った。反骨とも違う、流れは変わるという自然の意識が、この土地の人にはある。
海際の山に当たって流れが変わると、川砂が堆積して海岸砂丘ができる。その新潟砂丘の上に建つ、その名も砂丘館で、新潟出身の美術家・阪田清子さんの展示『対岸—循環する風景』が8月後半から開催される。詩人・金時鐘(キム・シジョン)の長篇詩集『新潟』をモチーフにしたインスタレーションだ。会期中開催される、海水から塩を作るワークショップの講師が何と斉藤さんだったので、わたしは阪田さんが掲載されている『ART BRIDGE 02』を斉藤さんに見せた。斉藤さんは記事を見て、「どことでも繋がっているね」と、案外こともなげに言った。

巻の住民投票については、今年5月発行『Life-mag. 巻編』の関係者インタビューに詳しい。編集発行人の小林弘樹さんにも、編集室のある新潟市へ7月初めに『ART BRIDGE』を届けた。小林さんは、8月のシンポジウムで司会を務める。小林さんは巻町に隣接する岩室の出身だが、司会を頼まれたときには戸惑いもあったという。主催の方々に相談すると、「小林のやり方で振り返るのが大事」と言われたそうだ。斉藤さんから再三会うよう勧められていたせいか、小林さんとは初対面という感じがまったくしない。市場の丼屋で、笑顔で語る小林さんを見ていると、斉藤さんらが彼に司会を託した気持ちがわかる気がした。
行き来するわたしたちのあいだには、水の土地・新潟があり、介在する印刷物は船のようでもある。
船は船でも宇宙船、ABIの港ディレクターとP3 art and environmentの統括ディレクター芹沢高志さんが中心となり、『言葉の宇宙船』を離陸させようとしている。わたしには、このプロジェクトの意が、最初から妙に腑に落ちている。水の土地からもたらされた感覚なのかもしれない。
原 亜由美
1975年新潟県新発田市生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史専攻卒。大学在学中に音楽雑誌出版社編集部アルバイト勤務後、映画宣伝会社を経てレコードメーカーで音楽CDジャケット、パッケージ等の制作業務を担当。2007年フリーランスの制作コーディネイターとして独立、写真展等の展示企画にも携わる。
東日本大震災と前後して東京から活動拠点を地元・新発田市に移す。東京での活動を継続しつつ、2013年より写真の町シバタ・プロジェクト実行委員会に参加、事務局運営に従事。2014年度より敬和学園大学新発田学研究センター一般研究員の他、授業助手や地域コーディネイターを兼務。
2015年度BRIDGE STORYライター。2016年度ABIネットワーカーとしての活動と並行し、新潟のハワイ移民等、土地と記憶にまつわるテーマについてリサーチ中。