写真の町から銅山の町を訪ねて 足尾
ネットワーカー・新潟支部 vol.02
原 亜由美
新発田の古い倉庫から出てきた足尾銅山の写真帖を持って、栃木県足尾市を5月に訪ねた。足尾には『わたらせアートプロジェクト』の一環として『シンブンシャ・プロジェクト』という、旧新聞販売店を拠点に中高生が活動する小さなアート・プロジェクトがある。“放課後まちなか美術部”と謳い、地域での新しいコミュニケーションを探ることを目的に活動している。現在は『化猫』という映画を製作している最中で、完成後の今秋、監督たちを『写真の町シバタ 2016』に招いて上映会をする予定だ(注1)。今回は企画担当している新発田の高橋晴子さんと、ABIの関川さんとの3人旅。関川さんとは、なぜかこの春毎週ペースで顔を合わせている。
足尾では『シンブンシャ』を運営している美術家の皆川俊平さんと、『化猫』の監督、佐藤るなさんに案内をしてもらった。足尾と言えば、鉱毒事件について触れないわけにはいかないのだが、銅山を経営した古河財閥は、前身として新潟の草倉鉱山を営んでおり、相互間で人的な行き来があったようだ。皆川さんによると、新潟からの人の流れは足尾ではよく知られているという。写真帖を保管していた『写真の町シバタ』のメンバーや、吉原写真館の吉原悠博さんからの情報で、古河側で鉱毒事件の対処にあたった昆田文次郎が新発田出身であること、写真帖を撮影した小野崎写真館が、新発田の吉原写真館と同じく、明治の写真師・江崎礼二の弟子筋であることなどもわかった。それこそ表面の砂を払うように、日本近代化の光と影が浮かび上がってきた。
新潟ではタレカツ丼と呼ばれる、カツを玉子でとじずに甘辛いタレにくぐらせて載せた丼が、足尾の食堂にもある。わたしたちは足尾で新潟と同じ味を堪能してから、写真帖にある風景を求めて、皆川さんとるなさんにまちを案内してもらった。鉱毒や煙害は植生にも影響を及ぼしており、山の崩落防止で植林されたニセアカシアが至るところで花盛りだった。皆川さんが、ニセアカシアの花は食べられると教えてくれたので、実際に食べてみた。前週に見た写真展(注2)のテーマがイタドリで、写真家の渡辺耕一さんと港ディレクターとの対談中、イタドリの可食性が話題になったのを思い出して話すと、「イタドリは煙害に強いので、足尾にもたくさん残ってますよ」とのこと。皆川さんはすぐにイタドリを見つけ、手頃な茎を折ってくれた。舐めてみるとライムのような味がした。
その後、『シンブンシャ』の拠点を見せてもらったり、もう一人の監督・荻原理羽さんにお会いして話したりしているうちに、かつての足尾と今の足尾の時間のつながりが明るく見えた。理羽さんが、将来は地元で小学校教師になりたいというのにも打たれた。新発田の『化猫』上映会で、るな監督と理羽監督が来た暁には、皆川さんがしてくれたように、二人に土地のものをたくさん味わってもらおう。離れた場所でも思い出される記憶は、きっとこうしてつくられる。


注1:『シンブンシャ』と『写真の町シバタ』は、現在開催中の 『アサヒ・アート・フェスティバル 2016』に参加中で、参加団体同士の交流企画として上映会を予定している。
注2:Kanzan Curatorial Exchange『言葉とイメージ』 Vol.1『Moving Plants』渡辺耕一
2016年5月10日〜6月4日 Kanzan Gallery キュレーター:菊田樹子
   http://www.kanzan-g.jp/moving_plants.html
原 亜由美
1975年新潟県新発田市生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史専攻卒。大学在学中に音楽雑誌出版社編集部アルバイト勤務後、映画宣伝会社を経てレコードメーカーで音楽CDジャケット、パッケージ等の制作業務を担当。2007年フリーランスの制作コーディネイターとして独立、写真展等の展示企画にも携わる。
東日本大震災と前後して東京から活動拠点を地元・新発田市に移す。東京での活動を継続しつつ、2013年より写真の町シバタ・プロジェクト実行委員会に参加、事務局運営に従事。2014年度より敬和学園大学新発田学研究センター一般研究員の他、授業助手や地域コーディネイターを兼務。
2015年度BRIDGE STORYライター。2016年度ABIネットワーカーとしての活動と並行し、新潟のハワイ移民等、土地と記憶にまつわるテーマについてリサーチ中。

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