鳥羽市海女文化写真展神の漁場
2月27日に鳥羽商工会議所が主催し、多摩美術大学芸術人類学研究所が共催をした写真展「神の漁場」にお邪魔してきました。

会場では、鳥羽の海女文化をそれぞれの視点で撮影し作品を制作した齋藤彰英さんと鷲尾和彦さん、そして同展覧会監修で、Art Bridge Instituteディレクターの港千尋とのトークも開催されました。
鳥羽商工会議所は、海女人口が日本一である鳥羽市相差町を中心に、海女文化の保全と継承、そしてユネスコ無形文化遺産登録を目指し、この展覧会を企画しました。海女文化を単なる観光資源としてではなく、自然と共生する生活文化として残していきたいという姿勢に、とても感銘を受けました。写真は、日々生活する私たちと同じ時間を過ごしたという事実を持つ被写体の生を切り取るメディアだと思います。そうした写真を通して「神の漁場」展が開催されたことには、海女文化が継承してきた歴史の根底にある、土地の生々しい生活を伝えたいという思いが込められていたのではないでしょうか。

トークのキーワードは「円環」だったように思います。
鷲尾さんからは、鳥羽の神島という離島に継承されてきた「ゲーター祭」という神事の紹介がありました。ゲーター祭では毎年元旦、グミの木と和紙でできた、太陽に見立てた巨大な白い輪を島民が長い竹竿で突き上げるという行為が行われ、それが大漁への祈りにもつながるそうです。鷲尾さんは海と太陽の関係を「海(死)と太陽(生命)とが混じり合う大きな渦がぐるぐると廻って」いて、その渦の中心に「海女」がいると会場で配布された冊子の中で書いています。こうした信仰の中の海と太陽の表裏一体の関係は、死と向き合うことで生きることができる生命の営みの円環が生まれていると感じました。
齋藤さんからは、海女の方々が昔から身体的に海と山の循環を知覚していたのではないかというお話がありました。相差町には漁時の目印として使われてきた青峯と呼ばれる山に、盂蘭盆の時に海岸沿いの地蔵を弔うための念仏を唱えます。その青峯山の山頂にある「正福寺」に何度か参った齋藤さんは、そこに流れる豊かな水や育まれた緑、海から吹く風から、この町の山への信仰の根っこにある海と山の循環を自らの身体でも理解したのだそうです。

トークの最後に港さんから海女文化が持続できた理由について、必要な分だけ取りに行くこと、声の届く範囲でおこなわれる漁であることの2つを上げていました。また、海女文化を守ってきた女性は、「元始、太陽であった」という平塚雷鳥の言葉もあります。複雑な現代社会に生きる私たちは今一度、自分たちにとっての海や太陽、山が何なのかを見つめ直すことで、自分たちの生活を自らの手の内に戻すことは出来るかもしれません。言葉ではほんの一部しか残されていない海女文化から今を生きる私たちが学ぶべきことは、まだまだたくさんありそうです。
文 :高野英江(Art Bridge Instituteインターン)
写真:齋藤彰英(写真家/Art Bridge Institute)

■写真展:
2016年2月27日(土)~28日(日)10:00~18:00 (※入場無料)

■トークイベント:
2016年2月27日(土)17:00~19:00 (参加費1000円)
I 部 相差町海女が作る郷土料理の実演と試食
II 部 「神の漁場:海女・御食国文化」

■会場:rengoDMS/連合設計社市谷建築事務所 (東京都千代田区富士見2-13-7)
最寄駅:JR「飯田橋」駅西口から徒歩5分

展示:鷲尾和彦・齋藤彰英
監修:平出 隆・港 千尋

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