名古屋、次の旅への地
ネットワーカー・新潟支部 vol.05
原 亜由美
ART BRIDGEのロゴがプリントされたバッグを肩にかけ、この1年は積極的に旅に出た。書くことを集めるために書く時間がなくなるというパラドクスに陥りつつも、充実した日々であった。
つい先日は名古屋を訪ねた。2016年が『あいちトリエンナーレ』の開催年だったこともあり、東京を除くと、この1年は名古屋を訪ねた回数が一番多い。12月には東京で『ブリッジトーク ブリッジの作り方シリーズ12 | トリエンナーレ・シンドローム編』が行われた。シンドローム、すなわち症候群とは、苦労と比例した達成感の大きさから芸術祭運営に関わりつづける人が多いことと、シンドロームの語源が“共走”であることから来ている。名古屋の港湾地区で活動する『港まちづくり協議会』も、トリエンナーレの共走者たちが多く参加している。
2017年明けてすぐ、名古屋でオルタナティヴ・スペース『パルル』を運営する新見永治さんが、同じく名古屋の『港まちづくり協議会』のメンバーと新発田を訪問したい旨の連絡をくれた。新見さんは『写真の町シバタ 2016』会期中に新発田を訪ねてくれて、その後旅したアジアで新発田のことを思い出したという。新見さんいわく、アジア新興地域は来る繁栄の予感に満ちているが、日本と同様、遠からず成長の終わりを迎える。数十年ずつ時代がズレたような場所が、今現在、地球上に同時に存在している。今の日本がアジアに示せるのは成長後のモデルではないか。日本と言っても同じ中部地方ながら新潟・新発田と愛知・名古屋は対照的だ。いわゆる“まちおこし”を必要とする中小都市・新発田には、名古屋のような大都市やアジア新興地域にとって、先行例として学ぶべきことがあるのではないか、ということだった。わたしも2016年夏、マレーシアで企業メセナ協議会主催の『クアラルンプール会議』を見学し、ペナン島の芸術祭視察に行ったばかりなので、新見さんのおっしゃることはよくわかった。港ディレクターが、新聞紙上に寄稿した新発田についての論考(2016年12月19日読売新聞朝刊文化欄「考景2016」)でも述べられていたが、新発田には未来の変化のヒントがあるのかもしれない。
こうして、この1ヶ月の間にわたしたちは新発田、名古屋を相互訪問し、わたしは名古屋で協議会の拠点である港まちポットラックビルを訪ねた。産業港として開かれた名古屋港周辺は、港湾労働者を支えるまちであって観光地ではない。同じく生活都市で開催された『さいたまトリエンナーレ 2016』で、芹沢高志ディレクターの“日常の想像力”という言葉が、名古屋の港まちにもしっくりくる。名古屋で、光の感じが訪ねたばかりのロサンゼルスに似ているとわたしが言うと、両者は姉妹都市だと新見さんが教えてくれた。一説には旅支度の足結う地から“あいち”となったとも言われる土地で、前後の旅がつながった気がした。地理的移動に過ぎなくとも時間的移動を伴ったような感覚を生む旅の場所がある。日常の旅の場所にアートがあり、次の旅へと橋が架けられる。
原 亜由美
1975年新潟県新発田市生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史専攻卒。大学在学中に音楽雑誌出版社編集部アルバイト勤務後、映画宣伝会社を経てレコードメーカーで音楽CDジャケット、パッケージ等の制作業務を担当。2007年フリーランスの制作コーディネイターとして独立、写真展等の展示企画にも携わる。
東日本大震災と前後して東京から活動拠点を地元・新発田市に移す。東京での活動を継続しつつ、2013年より写真の町シバタ・プロジェクト実行委員会に参加、事務局運営に従事。2014年度より敬和学園大学新発田学研究センター一般研究員の他、授業助手や地域コーディネイターを兼務。
2015年度BRIDGE STORYライター。2016年度ABIネットワーカーとしての活動と並行し、新潟のハワイ移民等、土地と記憶にまつわるテーマについてリサーチ中。

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