江上賢一郎
Kenichiro Egami
オルタナティブ・アジア
今、アジア各地で異種混交的な文化シーンが生まれている。それはアート⇆コミュニティ⇆アクティヴィズムのカテゴリーを越えて、互いに影響を及ぼしあうことで「新しい生き方」や「社会のあり方」の可能性をより広く提示し、実践しようとする動きのことだ。このまだ名前を持たない「動き(ムーブメント)」は、それぞれの場所に根付きつつも国境を越えた往来や交流を通じて、アジア圏(そしてそれを越えた)にまたがる草の根的恊働・相互扶助のネットワークを作り出している。「オルタナティブ・アジア」では、そのようなネットワークを通じて出会った人や場所を取り上げ、この汎アジア的な文化/運動/芸術の交流圏の現在進行系の姿を伝えていきたいと思っている。
03 台南の家族たち
■アクンという男

台湾の古都、台南に王庚(アクン/Akun)という男がいる。歳は50過ぎくらいだがはっきりとはわからない。普段何をしているのかもよくわからない。眉に緑色、首の両側には丸い輪の入れ墨がある。上半身は冬の日を除くとほとんどいつも裸で、赤銅色の肌がむき出しになっている。その目は黒々と輝き、ニコリと笑うその口には前歯がほとんどない。
アクン:祭りのときの写真
彼と初めて出会ったのは、2013年5月台南郊外の臨海公園だった。 紫色に沈む夕暮れの空の下、台湾の友人たちが公園の木立の中でたき火を焚きながら車座になって座り込んでいた。その中でハンモックに半身をうずめ、時折たき火に火をくべている短パン一枚のおじさん、それがアクンだった。英語で挨拶をすると、目を見開いてにっこり笑い(前歯がない)、「コンニチハ、ワタシハアクンデス」とカタコトの日本語で挨拶して、飲みかけの米焼酎を僕に手渡した。小綺麗だがどこにでもある街の公園、そこで地べたに座りながらたき火を囲み、タバコを回し、酒を飲み、ゆっくりと歌を歌っている。目の前で、近代のはらわたから原始の暮らしが突如現れたような、そんな感覚だった。

台北で生まれたアクンは、かつては鉄のオブジェや彫刻を作るアーティストとして活動していた。けれど今は自分のことを「一労働者」と呼んでいる。彼はこの20年間、自分の家を持たずに、台湾各地の仲間の場所を訪れ、移動しながら暮らしてきた。お金が必要な時は溶接の仕事や季節労働をして現金を稼ぐが、「ピンロウ(台湾の噛みタバコ)」と「タバコ」を購入するとき以外に彼がお金を使うのをほとんど見たことがない。アクンの台湾ドル札は、たいていポケットの中や車のダッシュボードの隅っこでくしゃくしゃに丸められ、ボロボロだ。もしかすると、お金は彼にとって「ピンロウ引換券」くらいのものなのかもしれない。
アクンの車
アクンには、どこにでも即興的に「場所」を作り出すという能力がある。今は台南の漁港で見つけた不法廃棄船に潜り込み、勝手に改造して暮らしている。自分の船ではないけれど、「ここの船の管理をまかされている」と言ってけろっと住み着いているのだ。どこにでも自分の家を見つけ、作る。この場合、家というよりも「巣」と言った方が近いのかもしれない。彼はこの巣作りの能力を、これまでの移動生活の中で身につけてきた。海岸線のテトラポットの下に発泡スチロールを敷いてベッドを作る、煙突の下でろうそくの灯りをともしながら暮らす、橋の下に小屋を建てて住み込む。また、自分の車の中、友人の家や店で寝泊まりする。1〜3ヶ月くらい滞在して、また次の場所に向かう。海では魚や貝を採って暮らす。山では薬草や野草をとってくる。独自の触診で、体の具合を診断してくれる技術も持っている。
アクンの舟
不思議なことに、アクンが座るところにはいつも誰かが集まってくる(彼の話が長くなるときはまた方々に散っていくが)。どこででもたき火を焚き、その周りで酒を回し飲み、ピンロウを噛みながらゆったりと過ごす。そこでは、時計の針が押し進める機械的な時間から切り離された、海に浮かぶ小島のようなゆるやかな時間が生まれている。彼や台南の友人たちと数日暮らしを共にして気がついたことは、このような時間の小島が、彼ら/彼女らの日々の暮らしの中に当たり前のように存在しているということだ。集まる場所はなにも店や室内である必要はなく、火、酒、そして仲間たちさえいれば、(他の人が文句を言ってこない限り)それはどこにでも作れてしまうのだ。
野外の集まり
「火をおこす、座る、輪になって話す」。どんなに時代が変わろうとも、この3つのシンプルな行為の連鎖が「見えない空間」を作り出し、そこにいる人々を包みこんでいる。体と体のあいだには、空間の肌触り/皮膜のようなものが生まれ、その皮膜の中で時間を共有する。「場所」とは、人の身体/行為とそれを取り囲む環境とのアンサンブルのようなものかもしれない。座ることから会話が生まれ、会話の中でさまざまな関係性のあり方が生み出されて行く。それはまず、自分と他者の身体が共にあることを互いに認め、受け入れることから始まる。建築やインフラよりも先に、そこにいる人たちが自発的に集まり、座り、根を張ることで場所が生まれる。逆説的かもしれないが、場所は人間の生きた振る舞いから生まれてくるのだ。
だから、アクンにとって「自分の家や居場所を持つ/持たない」ということはさして大きな問題ではないのかもしれない。場所を作る技術を自分自身が身につけているのだから。もしかすると、彼は台湾という島そのものを一つの大きな家のように捉えているのかもしれない。この島の中に自分の体が一つはいるだけの小さな巣を作り、そこに少しだけ身を寄せる。そして、多くの友人たちの居場所を渡り歩いて行く。だからこそ、どこでも寝る場所を見つけ、作り、暮らす 技術を身につけている。自分の身一つで「場所」を作る。そして、今はたまたま船の上に暮らしている。彼にとって家や居場所は買うものではなく、見つけたり、作ったりするものなのだ。
アクンタワー
アクンが「俺は今、世の中にも、社会にも何一つ不満がない。」と話したことがある。僕はそんなことってあるのだろうか、と驚いたことがある。彼のように社会の規範と異なる生き方をしていれば社会に対する何かしらの憤りがあると思っていたからだ。もちろん、アクンは日本の原発事故に心を痛め、台湾政府の原発政策や無秩序な再開発に怒っている。でも、不満はない。 怒りと不満は違う、と彼はいう。
もともとアクンと出会ったきっかけは、高円寺「素人の乱」の松本哉さん だった。僕は彼の台湾ネットワークを通じてアクンのことを知ったのだが、この話をすると松本さんは「アクンは何が起こっても自分の技術と知恵で生きていく能力を身につけているから、社会がどうあろうとも不満がないんだろうね」と答えた。

自らが満たされている状態とは何かを知ること、そしてその状態を自ら作り出すこと。自分の生き方を誰かと比較することなく、そのまま肯定し、今、ここに生きることを喜びとして受け止めること。それが一個の自立した人間の姿なのかもしれない。アクンにはお金や才能があるとか、頭脳明晰だとか、商才があるというような評価の範疇がほとんど当てはまらない。そのぶん形容するのが難しいが、ひとたび接してみると僕たち失ってしまった「野生」の感覚を、彼は今でも生き生きと保ち続けていることに気がつく。それは「近代人」に対置される「未開の人」や「原住民」を指すのではなく、「生きること」についての思考を暮らしの中で育み、それを自らの身体に知恵として備え、実践として他者に分け与えることができる自立した人間という意味での「野生」の人なのだ。
アークン
■日々の暮らしの中で分け合うこと

アクンに限らず、彼の友人たちの多くは、何の見返りも無しに自分の手元にあるものを分け与える。ご飯やタバコ、お酒。彼らの振る舞いのあまりの気前の良さに、こちらが驚いてしまうほどだ。料理を作ると必ず「ミンナ、Food タベル、タベル」と中国語、日本語、英語ミックスのクレオールのような言葉で僕たちに声をかけてくれる。はじめは、この「分け与える」という振る舞いに何か打算があるのだろうと一瞬訝ったこともあったが、卑しいのはいつも損得勘定で他者との関係性を推し量る自分の思考法にあるとすぐに恥じた。
カキ
もちろん、彼らだっていつも、誰とでもこのような関係が築けるわけではないだろう。それでも「モノを所有すること」よりも「モノを分け与えること」から生み出される喜びの共有や、それに基づく人間関係の形成により大きな価値を見いだしているように思う。だからこそ日々当たり前に「シェア」する。彼らのシェアは新しいソーシャルビジネスでも、知的トレンドでもない。彼ら/彼女らはシェアによる将来の利益よりも、今この瞬間に私たちが「共にいる」という事実を大事にしているからだ。それはつまり、私たちの日々暮らしの基礎そのものが、「分け与え/分け与えられる」という関係の絶え間ない連鎖によって成り立っていることを肌身で知っている、ということだ。
タバコ
■マンザイ酒の時間

この時間•空間•モノを共有する振る舞いは、彼らの酒の飲み方にも現れている。「マンザイ酒」とアクンが呼ぶ酒の儀式がある。単にちょっと変わった飲み方というだけなのだが、このマンザイ酒には、一緒に酒を飲む人たちの結びつきを強くするという不思議な力がある。

「これは、台湾原住民の人たちに教えてもらった飲み方なんだ」。そう言ってアクンは大きめの金だらいにビール、ソーダ、そして地元の米焼酎「紅標米酒」を一気に注ぐ。皆は車座になってこのたらいを回し、少しずつ飲んでいく。自分の番になると一言添えて、その後に「マンザイ」と言いながら金だらいを持ち上げ、飲めるところまで飲んで次の人に回す。このやりとりを延々と続けて行く。「万歳」という言葉自体は中国語にもあるが、アクンはこれを日本語の発音で呼んでいる。こうして、その場にいる人たちが順番に一つの金だらいを回しながら酒を飲み交わして行く。
酒を回し飲みしている光景
最初の一巡目は、再会して一緒に酒を飲む喜びを言葉にする。2巡目は、互いの健康と幸福を願う。それ以降は徐々に酔いも回ってきて、マンザイとだけ言って飲んだり、ジョークやよもや話へと移っていく。それぞれが個々に飲んでは酔っぱらうという普段の飲み方とは異なり、こうして輪になって同じ酒を回し飲んでいるうちに、ゆっくりとした時間の渦に一緒に入り込んでいくような感覚になってく。酩酊のリズムに乗じて面白い話や新しいアイデアが突然生まれ、さらに話がはずんだり、広がったりしていく。最初に僕が経験した「マンザイ酒」の場では、日本と台湾の「大使館」を作ってお互いが行き来し、交流できる場所を作ろうというアイデアが実際に生まれ、結果的に、素人の乱の松本さんが高円寺で運営するマヌケゲストハウスの屋上に台湾の人たちが遊びにくることができる「台湾大使館」を作ってしまった。
酒を飲むアークン
一つの酒をみんなで回して飲む。このシンプルな行為を通じて、幾重もの「場」が折り重なっていく。そこでは、お互いが同じ時間の流れを共有しているという不思議な実感が生まれてくる 。酩酊のなかでお互いの生が混じり合う瞬間を経験すること。それが「マンザイ酒」の儀式が持つ不思議な力の秘密なのかもしれない。

■家族になること

台南駅から歩くこと20分。小さな工場が立ち並ぶエリアの一画にある3階建ての建物から音楽と笑い声が聞こえてくる。路上にはピンクの天蓋がかけられ、その下に丸テーブルが並べられ、色々なごちそうが並んでいる。建物の入り口には、中国式の赤い祝儀袋が積まれた記帳台、綺麗な花が飾られている。 2階から白いウエディングドレス、紫のスーツを着た2人が階段を降りてくると、中にいた大勢の人たちが大きな拍手と歓声で彼女たちを祝福した。そしてその隣には珍しく背広を着たアクンの姿がある。
結婚式準備
この写真は、2014年11月に行なわれた台南の友人、郁宜(Yui)と肉包(Baopao)の結婚式のときのものだ。実は2人とも新婦。台南ではじめての同性愛カップルの結婚式が友人たちの手によって企画されたのだ。2人のスピーチと乾杯の後、皆でごちそうを食べ、仲間たちのバンドが演奏をはじめるやいなや、参列者たちがテーブルから身を乗り出して新婦たちを囲んで踊り始め、モッシュが起きたり、即興ダンスが始まる。ついには新婦たちが2階からシャンペンを踊り狂う参列者たちに向けて振りかけるという、歓喜と混沌が混じり合ったカーニバルのような祝祭的光景が繰り広げられていた。
結婚式
結婚式
この結婚式は、 「能盛興工廠(Fairground Cottage)」 という名前のスペースで行なわれた。ここは、結婚式の主役でもあるYuiとBaopao、そして彼女たちの友人が運営している元工場を改装したゲストハウス兼コミュニティスペースだ。1階はアートギャラリーとキッチン。2階がゲストルーム。3階には広いテラスが備え付けられている。もともとは、松本哉さんの著書『貧乏人の逆襲』の中国語翻訳や台湾の反核運動の紹介など、日本と台湾の草の根の交流を続けて来た台湾の活動家•翻訳家の陳炯霖(Tan Kenglim)がYuiたちと一緒にこのゲストハウスを計画していたが、2013年の夏に彼が水難事故で亡くなり、残った友人たちが彼の計画を引き継いでオープンさせた。
結婚式
実はこの結婚式には、彼女たちの実の両親は出席していない。アジアのなかで同性愛に比較的オープンだと言われている台湾でも、まだ同性愛の人たちの結婚そのものが市民権を得たわけではなく、親世代の理解を得ることはまだまだ難しいという。そこで、他のメンバーたちが結婚式の企画と運営を担当し、アクンと彼の妹のエマが、2人の両親兼仲人としてこの結婚式に立ち会い。自分たちの作った場所で、自分たちの結婚式を開く。いつも一緒に生活を共にしている仲間たちが、この結婚式を通じてひとつの家族に変わっていく。
誰かと一緒に暮らすことは、互いに個々の生を配慮し、補い合うという地道な相互交渉の連続だ。アクンやYuiは一緒に暮らす仲間を「家族」と呼ぶ。ここでの家族は他者が共に集まって生きることの親密な「呼び名」だ。それは、共に生きることのさまざまな矛盾と葛藤の存在を認めたなかで、互いの関係性が途切れることをどうにか回避しつつ恊働して行く日々の実践の中にだけ存在している。血のつながりではない「家族」。人類学には「民族形成性」という概念がある。それは民族とは元々、血のつながりというよりも、 ある価値観や倫理観を共有するプロセスの中で集団化していった人々である、という考え方だ。もしかしたら台南の友人たちのいう家族もまた、倫理や価値観を共に共有していく最小単位の「政治的プロジェクト」の実践なのかもしれない。


■「大きな家族」の祭り

今年の7月、そんな台南家族たちが主催する祭りが開かれるということで、台湾の東、花蓮の街を訪問した。台湾の東側、標高3000メートル級の山々と太平洋に挟まれた町、花蓮。この街から青い水平線を望む国道沿いを南下すると、たくさんの屋台と鉄パイプのステージ、そしてカラフルな模様の服を来た人たちが集っている一画が見えてくる。

毎年7月の第一週に開催されるDIY音楽フェス「瘋市集」(クレイジー•マーケット•ギャザリング) は、台湾のヒッピー界隈が年に一度顔を会わせる大きな集会(ギャザリング)だ。音楽フェスといっても入場料はない。出演者も遊びに来た人も皆、持参したテントを廃屋となったコンクリート2階建ての建物の中に広げ、海を眺めながら一緒に酒を飲み、音楽を聴き、食事を共にし、一週間共に暮らす祭りだ。夕方からは手作り雑貨屋、本屋、ケーキ売り、マッサージ屋など会場のあちこちに露店が立ち現れ、 外からの観光客も訪れてとてもにぎわう。
ステージでは台湾はもちろん日本からのミュージシャンたちも演奏し、時には日台混成の即興のバンドが生まれていた。夜もふけると、たき火の周りでそれぞれが楽器を演奏したり、輪になって話をしたり、星空と波の音のあいだでゆったりと時を過ごす。こんな時間が一週間も続くと、そこにはもう皆が一緒に暮らす一つの村のような雰囲気すら生まれてくる。

5回目となる今回は 「能勢興」のメンバーがホストとなり、多いときには300人ものゲストを迎え、ボランティアの若者たちと一緒にキャンプ準備、毎日200人分の食事の準備、ステージ進行、露店のマネジメント、警察との交渉と一週間休む間もなく働いていた。そこでは リーダーを立てるのではなく、それぞれの持ち場に従って各自が自発的に、そしてお互いを気遣いながら有機的に動いており、祭りの終盤ではほぼ全員が祭りの運営の仕事のいずれかを手伝うようになっていた。Yuiたちは全体の運営のマネジメントを担当していて、ボランティアをまとめ、厨房の管理、露店の出店者たちとの交渉と、一日中会場内を走り回っていた。台南家族の彼ら/彼女らは普段はのんびりしているように見えるけれど、一旦何かを始めるたり準備したりすると別人のように働き、黙々と仕事をこなしてゆく。
祭り
Yuiは、この祭りを「家族になるための祭り」と表現していた。「毎年ここに来ると、会いたかった人たちの顔を見ることができる。そうすると、自分は独りではなくてみんなと一緒に今を生きているんだと実感できる。そして、お互いにそう思い合えることは、ある意味で私たちが家族になっていることの証だと思う。」
Yui and Akun
たとえ普段は離ればなれに暮らしていたとしても、一年に一度お互いが再開できる場所と時間を作り出すこと。この祭りは、いわば再開と新たな出会いのための空間であり、台湾だけでなく各国から人々がやってくる。そして、1週間という時間の中でお互いの関係がゆっくりと醸成されていく。台湾の友人たちのいう新しい「家族」とは、このような出会いと再会のサイクルの中で、しなやかに育ってく人と人との持続的な繋がりを指すのだろう。贈与の繊細な相互関係が築く「家族」たちは、いつも一緒にご飯を食べ、酒を飲みながら、一晩中いろいろな話をする。ばらばらで無関係だった人々が集まり、暮らしていくことで新しい「家族」になっていく。 「場所」を作ることから、血縁や国籍を越えたもう一つの「家族」を 作ることへ。台南家族は、人と人の移動と出会いがもたらす繋がりだけでなく、そこから生み出される新たな暮らし方の可能性を僕に教えてくれたのだ。

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