江上賢一郎
Kenichiro Egami
オルタナティブ・アジア
今、アジア各地で異種混交的な文化シーンが生まれている。それはアート⇆コミュニティ⇆アクティヴィズムのカテゴリーを越えて、互いに影響を及ぼしあうことで「新しい生き方」や「社会のあり方」の可能性をより広く提示し、実践しようとする動きのことだ。このまだ名前を持たない「動き(ムーブメント)」は、それぞれの場所に根付きつつも国境を越えた往来や交流を通じて、アジア圏(そしてそれを越えた)にまたがる草の根的恊働・相互扶助のネットワークを作り出している。「オルタナティブ・アジア」では、そのようなネットワークを通じて出会った人や場所を取り上げ、この汎アジア的な文化/運動/芸術の交流圏の現在進行系の姿を伝えていきたいと思っている。
02 Alternative Asia 香港編(後編)
■都市の中にもうひとつの村をつくること
香港に住む多くの人たちにとって住宅事情は自分たちの暮らし、そして生存に直結する最も深刻な問題だ。ここ数年、中国本土からの不動産投資マネーの流入で、香港の家賃は毎年20%もの急上昇を続けている。 市街地ではたった3平方メートルほどの小さな路面店の家賃でも月20万円は下らないし、1LDK程度の大きさのアパートに家族5人で暮らしているという家も珍しくない。さらに、一つの部屋の中でそれぞれ人が一人横になれるだけという鉄の籠の中で暮らしている人たちもいる。 プライベートな空間がほとんど持てないことのストレス、過密な住環境が引き起こす家族や人間関係の不和。香港では店やスペースを開くことはもちろん、自分のための小さな空間を持つことさえ今の若い人たちにはほとんど手の届かないような現実がある。

それでも、このような都市の生活環境のなかでどうにか自分たちの暮らす場所、生きるための空間をこの都市のなかに作り出そうと日々試みている人たちがいる。特に若い芸術家や音楽家たちは、さまざまな知恵と努力、助け合いの中、自分たちの暮らしや活動のための空間をどうにか生み出し、小さくとも素晴らしい固有の文化/生活空間を作り出している。市街から離れた倉庫街のワンフロアを利用したスタジオやシェアハウス 、古いビルの屋上に作られた庭園、郊外にある有機農場やベジタリアンレストラン。土地や住居そのものを大きな金の流れに投げ込み、経済成長を遂げているこの都市の中で、そのような場所を作ることそのものが、資本主義の原理で構成された空間(賃労働のための職場や消費のためのショッピングセンター、そして人びとから永続的に地代を吸い上げる賃貸住宅等)とは別の生き方、暮らし方を想像し、実現させていく空間を作り出す実践でもあるということだ。そして、そのような場所を作ろうとしている人たちとの直接の出会いが、香港というメガロポリスの内側から文化や芸術、持続可能な暮らし方が生みだされていく現場に私たちを誘う。それはまるで、これまで隠れて見えなかった都市のなかに小さな村を発見したような心地にさせてくれるのだ。


*この「都市の中に小さな村をつくる」というフレーズは、9月に大阪、中津で行なわれた中津文化祭という企画中の連続公開シンポジウム「都市生活のいま(栗原•矢部•杉村昌昭)」のトークの中で、フランス文学者、杉村昌昭氏の「かつてパリの中にはいくつも村があり、この都市のなかの村から革命が生まれた。現代においても都市の中に再び村のような集まりの場をつくる必要があると思う」という発言を江上が会場で聞いて、強い印象を受けたことに由来している。


■倉庫街の中のコミューン

観塘地区の巨大な倉庫ビル群の一画、工場のシャッターをくぐり、黄色い搬入用エレベーターで2階へと上がる。銀色の鉄扉を開くと、黒で統一されたステージからパンクスの叫び声が響き、フロアでは大勢の観客がモッシュする光景が目の前に広がる。ここ、Hidden Agendaは、圧倒的に商業メジャー指向が強い香港の音楽シーンでほとんど唯一と言っていいインディーズ音楽中心のライブハウスだ。
Hidden Agendaは、香港のインディーズのミュージシャンたちが練習スタジオを改装してボランティアで運営しているライブハウスだが、営業許可の申請はしていない。「正式な営業許可を取ると遊興施設扱いになって賃料は数倍に跳ね上がるからね。そしたらチケットの値段を上げなきゃいけないし、若いミュージシャンたちや実験的な音楽家たちが演奏できる場所がなくなってしまう。ここは音楽が本当に好きな人たちの集まる場にしたいからね、私たちは大家を儲けさせる為に音楽しているわけじゃないのさ。」と元マネージャーのKimiは言う。 自分たちが求める音楽を演奏し、聴くことのできる場所が欲しい。それは、極めてシンプルな欲求だ。しかし、それを実現させるためにはあまりにも膨大な資金がいる。そして、営業許可がないためにいつも警察や行政からの立ち退命令の危機にあり、すでに3回の追出しを経験している。それでもHidden Agendaは、金のために音楽活動するという本末転倒なやり方をするくらいなら、ずっと非合法でライブハウスを運営するという選択肢を選んでいる。その反骨精神あふれる態度表明は、香港の倉庫街に根付くアンダーグラウンドカルチャーのスピリットを体現していると言ってもいい。
ミュージシャン/アクティヴィストのAhkok(アコー)もそんな倉庫街の住人の一人だ。彼の部屋は東九龍の倉庫街にある十数階建てビルの7階にある。フロアの通路を歩くと、他の音楽仲間の部屋からギターの音が聞こえてくる。さらに奥に進むと自作の防音壁を張り巡らした練習スタジオがありドラムセットが置いてある。Ahkokはこう話す。「みんなで暮らしながら音楽を作っていけるのは、ここが倉庫街だからだよ。人目や音も気にしなくていいし、家賃も安い。でも警察や行政は工業地区では、何も“生産”していない活動は違法だと言う。けれど俺たちはここで音楽を生産しているし、文化を生産しているんだ。 」 
このように香港で文化活動に従事する若者たちの何人かは、倉庫の一区画を数人でシェアし、そこにベッドを持ち込んで自分のアトリエ兼住居として使っている。 家族との同居が一般的な香港では、アトリエを持つというのは(他の作家や学生と共同ではあるが)自分のための空間を持つということと同義だ。夜になると友人たちが大勢やってきて、音楽をかけ、酒を飲み、明け方まで話し込む。そのような場所に居合わせてふとこう思う。友人たちを呼んでパーティを開いたり、隣近所を気にせず楽器の練習や創作ができたり、恋人と2人で親密な時間を過ごせたりできる空間を持つこと。一見当たり前に思える欲求でも、過密都市香港の若者たちにとってはほとんど夢物語のような話なのだ、と。倉庫を借り、そこに居場所を作るということ。それは若者たちにとって一時的な避難所であると同時に、解放されたコミューンの暮らしをこのコンクリートの森のなかで実現させる行為でもあるのだ、と。
■抵抗する空間
徳昌里(Take Cheon Lage)は、香港の下町油麻地にある小さな倉庫を改装した集会所だ。2012年に、香港で展開されていたオキュパイ運動「Occupy Central」に参加していた若者たちが、支援者の援助を受けてオープンした。メンバーたちは、自らをアナキストのコレクティヴと自認し、政治的アクション、特にストリートでの直接行動を中心に活動している。高速道路高架下のホームレス排除反対運動や、2013年の深川建築ビエンナーレでの再開発反対運動など、数多くの行動が彼ら/彼女らによって展開されてきた。普段は2階にある5平方メートルくらいのロフトに20人くらいの仲間たちがぎゅうぎゅうに詰め合ってミーティングが行なわれていたり、1階で移民の子どもたちに広東語を教えていたり、ご飯を一緒に食べたりしている。 支援なしの継続は難しいという現状もあるが、香港で最もラディカルな政治的意識を持つ集団が、地域に根付きつつ暮らしと政治の関係を実践的に結びつける試みを行なっている場所だ。
2013年7月1日、香港返還記念の巨大なデモの後にHidden Agendaと徳昌里のメンバーたちは共同で無許可のゲリラ音楽アクションを行なった。デモ終了後に公道を突如として占拠し、運んできたドラムセット、マイクスタンド、アンプ機材を設置して即席のライブ会場を街中に作り上げたのだ。パンクスからポストロックまで、インディーズバンドのミュージシャンたちが路上で演奏しはじめると、すぐに大勢のオーディエンスたちが周囲を取り囲み、道に座り込んだ。警察がすぐさまやって来たが、抗議や交渉に慣れているメンバーたちが彼らの動きをストップさせている一時間のあいだ、即興の音と叫びがビルの谷間に響き渡っていた。それは、めまぐるしく動く資本化された都市のスピードに風穴をあけ、自分たちの手で都市を取り戻す文化的直接行動であった。この晩一瞬だけ現れたこの一時的な自律空間は、一年後に香港の道路を埋め尽くすことになる雨傘運動の予兆であったかのように思えた。
■屋上の楽園と田舎の生活
ロンドン生まれの中華系イギリス人Michael(ミシェル)は、大学卒業後に香港に戻りデザイナーとして活動すると同時に「HongKong Honey」という都市型養蜂のプロジェクトを展開し、古いビルの屋上を借りてコミュニティガーデンと養蜂箱を設置する活動を続けている。巣箱から蜂蜜を採取し、蜂の好む花や自給の為の野菜を植える家庭菜園を屋上に開き、蜂蜜を使った製品(食用の蜂蜜、石けん等)をデザインしたり、庭園でのワークショップを運営したりしている。緑が極端に少ない香港で植物を育てるという活動は、単にガーデニングとしてだけでなく、都市生活における再開発の諸問題(公共空間の私有化、規制なき不動産投機、農地の強制接収等)への異議申し立と、生活のなかでの自然と人間の関係のあり方を見直すための問題提起を含んでいる。エレベーターがない5,60年代に建てられたビルの屋上は、賃料も安く、以前は低所得者のひとたちが暮らすバラック村が多く存在していて、彼らのための屋上庭園も多く存在していたという。Micaelは、打ち捨てられた屋上庭園を再生し、さらにそれをオープンな場所として地域の人たちや学生に開くことで、都市の中で見えなくなってしまった植物への感受性や、農の知識を再び学ぶことができるようにしたいと語る。

その他にも、香港の美術学生たちによる日本の自然農法家、福岡正信氏の泥だんご(植物や野菜の種と泥を混ぜ団子状に丸めたもの)を作り、街を歩きながら空き地を見つけ、泥だんごを投げたり、 ペットボトルを縦に繋げて垂直の花壇をつくるワークショップ等が開かれている。
「O-veg」は、香港郊外にあるベジタリアン専門のレストランだ。元ドキュメンタリー監督のCheung Chi(チェン・チー)は、田園風景が未だに残る北部エリアにある養鶏小屋をレストランに改装し、週末だけオープンして、平日は自分たちの畑で野菜や米を育てて暮らしている。

「自分たちの手で野菜を育て、それを食べて暮らす。それが本当の意味での自立なんだ。自給自足の暮らしは、単に食料自給率の問題だけじゃない、それは人間にとって自由とは何か、という問題にも深く関係してくるんだ。今の香港社会は、お金をせっせと生み出しているけれども、本当に必要なものは自分の手でなにも生み出してはいない。本当に必要なものというのは、米や野菜、自分たちの食べ物だ。それらを誰かから依存しているうちは、僕たちはずっと不自由なまま暮らしているんだよ。」とChiは話す。

香港の自給率は極端に低く、食料の9割以上が中国からの輸入に依存している。中国共産党の同化政策に政治的な危機意識を持ち、香港人としてのアイデンティティーを守ろうとする動きがある中で、依然として暮らしの基盤である食は本土に頼らざるを得ない現状だ。
さらに、安全で、自然に負荷をかけない食料生産のあり方を真剣に考えていくことが、国家からだけでなくグローバル経済の収奪機構からの自立につながると考え、自分たちで野菜や米を育てようとする動きも小さいながらも生まれて来ていて、香港の郊外の農村地帯に移り、そこで有機農法や自然農法での米や野菜の栽培をする若い人たちも生まれてきている。


香港の都市部と郊外が接する馬寶寶地区にあるオーガニック農園「馬寶寶共同菜園(Mapopo Community Farm)」も、数年前から有機農業や食の自給に関心のある人々が集い、元々香港の野菜の供給地だったこの地区でオーガニックの農園をスタートさせた。週末には収穫物の朝市や、農業体験、パーマカルチャーワークショップも企画している。現在は再開発計画による立ち退きの危機にあり、政府への団体交渉や座り込み等の直接行動も行いながら農場立ち退き撤回運動を継続している。コンクリートジャングル香港の北部では、このような有機農業の実践、農的暮らしへの回帰運動が、再開発反対運動や香港の政治的民主化を求める諸運動と合流しつつ、本当の意味で暮らしの自立への道へと歩みを踏み出している。
■小さな場所を共有する
油麻地にある「So Boring (超たいくつ)」という名前の飲食店は、幅2メートル•奥行き5メートル、店内の半分以上は厨房で、残りのスペースも食器や冷蔵庫で埋められている。この極小空間のどこに客席があるのかというと、店の外の高架下や歩道にテーブルと椅子を出している。路上がそのまま客席になり、客はそこで食事をする。アジアだと珍しくない光景のように思えるが、土地の狭い香港では、このように路上に思い切りはみ出す店構えはとても珍しい。ここは路上をオキュパイしながら営業する食堂なのだ。

もう一つの特徴はその運営方法にある。元々は2人の女性のオーナーが串焼き屋としてスタートさせたが、毎日のハードワークの疲れがたたって一時は閉店かという時期があった。そこで同じ地区にある活化廳(Woofer Ten) や徳昌里、Hidden Agenda等のコミュニティのメンバーたちが日替わりで店の当番をするという方法に切り替え、それ以来毎分担制で店を切り盛りしている。この日替わり店主の店というアイデアは、もとをたどると東京、高円寺にある「なんとかBar」という飲み屋にある。高円寺のリサイクルショップ「素人の乱」の松本哉さんが作ったこの「毎日違う店主が店を切り盛りする飲み屋」に遊びに行った香港の友人が、地元でも同じようにやってみようということで「So-Boring」の運営方法として提案したのだ 。料理も毎日入れ替わるが基本は肉を使わないベジ料理を出していて、値段はお客が自分で決める「自由定価」というシステムになっている。野菜は、郊外の馬寶寶共同菜園で採れたものを使っている。口コミで評判が広がり、今では地元のメディアにも取り上げられて、夜になると外のテーブルはいつも多くの人でにぎわっている。それでも家賃は日本円にして月に約40万円ととても高額だ。

「だから、日替わりで家賃をシェアするこのアイデアは、家賃の高い香港で負担が少なく場所を運営するための一つの方法だと思う」。運営メンバーのひとりでベジタリアン料理人のヨンジャイはそう話す。これは、日本と香港の共に 「場所」を作りだす人と人が国境をこえて行き来し、交流を続けてきた一つの成果の現れだろう。東アジアの草の根ネットワークはこのようにお互いの場所に訪問し、互いのアイデアを取り入れ、応用しつつ各地に広がり続けている。

しかし今、香港政府は大規模な再開発プロジェクトを多方面で進めており、観塘の音楽家コミューンも、馬寶寶の有機農園も、家賃値上げや強制立ち退き問題に直面している。ジェントリフィケーションの波は、市場と権力機構の命令に従って有無を言わせず人びとの無数の生活空間を、追い出し、壊し、脱色し、投機のための商品へと変えて行く。それでも危機の度に、この倉庫街の住人たち、農園コミュニティのひとびとは、お互いに協力して路上でデモを行い、楽器を演奏しながら香港の過剰な再開発、不動産マネーの問題を訴える。倉庫街に潜みつつ、路上に飛び出し反撃に転じ、立ち退きにあったとしてもすぐに移転先を見つけてくる。コミュニティ同士が繋がり、時には混じり合い、分裂しつつまた新しいコミュニティが形成され、新たな場所を作り出す。お互いのコミュニティの緊密なつながりと、その有機的な変化は、香港のアンダーグランド空間が持つ反骨精神のしぶとさ、強さの秘密なのかもしれない。

異なる街や土地を訪れ、自分たちの手で作り出した文化や暮らしの息づかいを感じる場所に出会うことは、森のなかに咲く野花を見つけたときの心地に似ている。平面的だった街の姿が急に3次元へと展開し、陰影を帯びつつ人間的な表情を持つようになる。そこそこの場所には特有の「場所の空気」が漂っていて、「ああ、彼ら/彼女らはこのように生きて、暮らしたいと思ってこの場所を作ったんだなぁ」と嗅覚で感じ取る。この空気は、ある理想を具体化させていくプロセスの多様な試み、失敗、そして継続の中からにじみ出ていて、はっきりと形容できない。けれども、その場所の中で交わされる話し方、人と人との関係性、空間の使い方、そして突発的な出来事に対する対応の仕方のなかにある種の無形のデザインとして現れ、表現されている。場所は、ある空間における人と人との関係性の具体的な表現であり、その関係性が生み出した出来事の総体だ。人と人、人と社会、人と自然の関係の具体性/固有性を宿した場所が、都市のなかにどれだけ多様に存在しているのかは、そこでの暮らしの豊かさを測るひとつの指標になるだろう。小さな場所をつくること。そして、その場所と場所を行き来すること。それはやがて都市のなかの村/コミューンへと変貌していく。香港の場所作りの数々の出会いは、そのような村/コミューンへの生成の実践として僕の目の前に現れてきたのだ。

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