太田エマ
Ema Ota
脱領域化を考える
当たり前だが、グローバル時代は脱領域の時代と言われる。世界中の流通、移動、文化発信、発展、及び破壊はある特定の土地から切断されてきただろう。ドゥルーズ&ガタリを始めとして、ラクラウ&ムーフ、ネグリー&ハート、多くの理論家・政治学者はこのコンセプトを異なる角度から解釈し、多様な分野に適応してきた。家庭、地域、市、国、大 陸、世界、様々なレベルの「領域」がある。ある領域は権力者を成立させるとともに、そうではないものを排除する。「パブリック」や「コミュニティ」を取り組む時、領域化、脱領域化、再領域化を意識せざるを得ない。この循環は世界中で起こり、場所があるvs場所がないとの奮闘の象徴になったと言えるが、場所づくり、町づくり、公共空間を取り戻す、occupyまたはアーティスト・ラン・スペース、アート・センターの動きにおいてこのプロセスはどのように働いているだろうか?共有するために領域の境界線を区画し、ある「土地」を所有することが必要だろうか?この現象は、10年間続いてきた「ディスロケイト」の核心にあるので、アートというレンズを通して、今まで扱ったテーマ:コモンズ、ジェンダー、労働、発言の自由、と脱領域化についてここで検討していきたいと思う。
04 #IAmaMigrant
◼︎脱領域化と移民・難民について

私たちはすべて、移民である。どこかからどこかへと移動をして来たからだ。生まれてからずっと同じ場所で暮らしている人は、今の時代だと特に少ないだろう。たとえ隣の町への引っ越しだとしても、今までとは違う環境で生活すること、新しい隣人と付き合うことに対して、少し不安に思うこともあるだろう。ニューカマーとしてどうやって新しい地に馴染めば良いのか、いろいろと試みた人も多いだろう。地域間、国内間、各国間の移動は、人の流動的な循環で、脱領域化と再領域化の象徴でもある。人を記号に例えるならば、一つの文脈から引き抜いて、新しい「ページ」のテキストに追加し、そこで意味を付けてから更に次のページに移すというプロセスである。移住の専門家であるニコス・パパスタギャダスはこの動きを次のように解釈する。

「移住するということは、いつも進行中のプロセスであり、始点と終点が決まった明確な動きではなく、目的地がない旅として捉えたら良い。」(*1)

現在日本には223万人の「外国人」が登録されており、その数は人口の2%を超えているが、全員が国境を越えて移住してきたというわけではない。日本で生まれ育ち、日本のアイデンティティを持っているけれど、ただパスポートが違うという人も少なくないし、移住してきた家族の二世、三世、それ以降の世代も「外国人」の25%以上として数えられている。当然だが、国籍と移住は必ずリンクしているものではない。「どこの国の出身ですか?」という質問はいつしかなくなり、「どのような道で生きてきましたか?」という問いに置き換えられるかもしれない。意識しない人もいるが、誰でも脱領域化・再領域化の流れのなかで生きている。

「プロセスとは、差異領域化を完成することはできず、持続的にさまざまな状態との間で揺れている。追放されるなどして故郷を探している状態のなかでは、脱領域化と再領域化との区別を捉えることができない。」(*2)

その揺れはサイードが述べたように「奇妙な魅力」(*3)を持ち、理想的な解釈も多いが、そのリアリティーの一つの側面は「最悪」である。

自由市場が世界中の資本やモノを回しているように、人もまた、点々と動いている。しかし、当たり前だが、貧困、被害、災害、難民、人身取引などで自分自身の移住について選択肢がない人もたくさんいる。現在、無視することができないほどに連日報道されてる「難民問題」が、この事実を象徴するイメージになった。2015年、世界中で難民になった(国内避難民を含め)人数は600万人で、そのうち130万人はヨーロッパに渡った。(また移動中に確認された死者数は4,720人である)(*4)バルカン諸国は国境を閉じ、スウェーデンは8万人の難民を追放し、フランスは難民キャンプを破壊し、EUの諸国は難民のピンボール・ゲームで遊んでいるようだ。「流動的な時代」なのに境界線がより強化されて来て、都合が良い時(労働力が足りない、介護してくれる人が必要な時)にだけ門は開かれ、都合が悪い時にはすぐ閉じてしまう。境界では、毎日数えきれないほどの悲鳴が、繰り返し聞こえて来る状況だ。
シリアの危機、そしてヨーロッパからは遠く離れた日本でも、難民問題は身近な問題だと考えられる。よく引用される数字だが、2015年7586人が難民認定申請をし、そのうち27人(*5)しか認定されなかった。(政府によると割合としては国際基準に比べるとおかしくはない、フィンランドと同じくらいの割合であると主張しているが、2015年にフィンランドは7056人の申請があり、1112人を認定した。フィンランドの人口は550万人、GDPは$2722億だ)(*6)認定された人数が少ないので、まだ「難民」が遠い存在として捉えられているかもしれないが、3.11が証拠になるように、日本国内での難民もいる。現在、震災による国内避難民は22万人に到る。そのうち5万5千人余りは、元の居住地とは異なる都道府県に避難している。東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の危機により、海外に避難した人も多かった。例えば、2011年に原発事故が原因で、30人以上の日本国籍を持つ人がカナダに難民認定を申請をした。(全員が落ちたが)また少し前の話だが、1997年に一人の日本人のシングルマザーが日本の福祉制度によって差別され、貧困状況のなかで生き残さないと主張し、オーストラリアで難民認定を受けた。さらに現在の UNHCR Japanの統計をみると、日本出身(国籍が公開されていない)の269人は難民・亡命希望者となっている。日本に住む人であっても、移動を強いられた経験を持つ人も少なくないのだ。
強制移動が身近な出来事にも関わらず、移住が増加(可視化)すると、人種差別や在特会、極右も台頭する。シャンタル・ムフによると、

「欧米ではデモクラシーの意味は、いわゆる民主的な制度とそれを否定する「他者」との違いによって定義された。デモクラシーの敵(共産主義)がなくなると、デモクラシーそのもののアイデンティティも不安定になるので、再定義するための新たな政治境界が必要となって来る。このような状況では、新たな敵として移民、特に民族と宗教が違う移民をターゲットする極右が展開する。愛国主義や外国恐怖症によって政治の境界を再構築しようとしているグループは、よく外国人・移民が国のアイデンティティと主権を脅かすと主張してしまう。」(*7)

確かにヨーロッパでの移民・難民を犯罪と結び付ける動きや、ドナルド・トランプによるメキシコ人やイスラム教の信徒への謗り、日本でのヘイトスピーチはその傾向であるだろう。脱領域化と再領域化の過程によって、固定されていたはずの安全領域が不安定になり、このような反応が出て来るのだろう。ロシー・ブライドッティが述べるように、脱領域化というのは「社会によってコード化された思想や行動に定着することに抵抗した、批判的な意識である」(*8)ので、この動きを抑えたいと考える権力もある。



◼︎難民問題に対するアートシーンからのレスポンス

「難民問題」がますますエスカレートし、多くのマスコミに注目されるにつれて、大勢のアーティストもこの問題を取り上げ始めた。
いつも政治的な側面で注目を浴びるアイ・ウェイウェイは、最近では難民問題を取り上げる作品をいくつか制作し幅広く報道されたが、他のあまり深みがないレスポンスと何が違うのかと疑問も持たれている。何百個の救命胴衣を美術館の正面にある柱に巻き付けたり、チェコのプラハ国立美術館で展示した「Circle of Animals / Zodiac Heads」をスペースブランケットで包んだり、最近では、船でヨーロッパへ渡る途中に溺れて亡くなった3歳のシリアの難民のアルン・クルディ君を真似た写真作品が発表され、批判される結果になった。しかし、実はアイ・ウェイウェイはアート活動とは関係なく、ボランティアとしてもギリシャの島を訪れ、難民を支援しているのだ。
アイ・ウェイウェイが難民問題に対して一番強いメッセージを放ったのは、作品ではなく、デンマークの「難民財産没収法」に対する抗議として、コペンハーゲンのFaurschou Foundationギャラリーと、アロス・オーフス美術館とでの展覧会を中止し、作品を撤去した。アーティストの評判・信頼性に影響を及ぼすアクションでもあるし、法的にもかなりリスクが高い。安全な領域からこれらの問題に抗議するのではなく、自分自身の立場も不安定にすることだ。
バンクシーもマスコミに人気のあるアーティストで、最近フランスのカレーにある難民キャンプに、2015年に5週間だけイギリスで開催した「Dismaland」(ディスマランド)という風刺的な遊園地の建設材料を寄付し、仮設住宅を作った。またキャンプ内にグラフティを描き、そのなかでも、シリア出身の父がいたスティーブ・ジョブズのイメージが話題になった。その後、北フランスのキャンプで警察が難民を追い出させるために催涙ガスを使ったことに対する抗議として、イギリス在フランス大使館の外に、ガスに囲まれたレ・ミゼラブルのグラフィティーを描いた。
アイ・ウェイウェイ、バンクシー、2人のアーティストのステートメントとアクションからは、少し違いが見えるだろう。
難民問題をテーマに扱うアーティストはとても多く、なかには一時的な反応や善意から生まれた作品までさまざまな例があるが、そこには倫理的な摩擦もある。オーストラリアのRISE難民サポートセンターのアート・ディレクターであるTania Canas(タニア・カナス)は、2015年10月に「アーティストとして難民問題を扱う際の10件の注意」というステートメントを公開した。
「当事者ではないアーティストが、自分の作品のなかで難民の問題に取り組もうとする場合、その意志をよく分析するべきだし、自分自身の特権を意識しなければならないし、参加型アート=エンパワーメントでもない。」
と述べており、「We are not a resource to feed into your next artistic project.」(私たちはあなたの新しいアートプロジェクトのための資源ではないよ!)という発言がとても鋭い。(*9)RISE難民サポートセンターは、"Nothing about us without us"(私たちのことを、私たち抜きに決めないで!)というスローガンを持つ団体なので、展示すること、表象すること、声を上げることのギャップを強く認識している。また、同じ傾向でシリア出身のアーティストであるSara Shamma(サラ・シャンマー)も、アートはどのように難民問題にアプローチをしているかについて心配している。
「力があり、そして偽りのない作品は、シリアの現状を文化的に描くということに貢献すると思うが、弱く表面的な作品は、逆にその壁になる。アートはトレンドに乗ったり、ただのジャーナリズムのようになってしまうと、今度はアートとしての価値がなくなる。」(*10)
◼︎ 難民の経験をもつアーティストたち

さらに、当事者としての、アーティストの視点も重要になって来る。ティファニー・チュンというアーティストは、1969年にベトナムに産まれ、内戦に巻き込まれて、家族とアメリカに避難した。その経験、アイデンティティは作品に大きな影響を与えた。以来、紛争、自然災害や移住によって、どのように土地・風景・地理が変わるのかを探究しながら、ある場所の「もう一つの地図」を描く作品がよく知られている。ベトナムをはじめ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ルーマニア、シリアや日本の脱領域化をマッピングする。場所の定義に対して疑問を持っていたチュンは、その疑いを不安定に見える地図を通して表現し、今まで区画されていなかった現象を地図のなかに位置づけた。「生まれながらにして課せられた政治的な境界と、その境界で生じる恐怖でトラウマになるような出来事への関心は、オルタナティブな歴史(正式に記録されていない歴史)に関する検証・記録をずっと促進してきた。」(*11)
ベトナムの代表的なアーティストであるディン・キュー・レも、早くからヨーロッパとアジアの難民問題に反応した一人だ。その事例の一つは、2015年7月~10月に森美術館で展示された「Erasure」(2013)である。内戦中、レの家族もボートピープルとしてタイに渡り、その後アメリカに移住した。インスタレーションでは小型漁船が当時の写真の海のなかで破船し、その後ろには18世紀の航行船が燃えている映像が映っている。この作品は、さまざまなレイヤーで、避難と移動と災害について触れている。レ自身の歴史でもあるベトナム戦争から逃げた難民、また2010年のクリスマス島、2013年のランペドゥーザ島での難民船沈没事故を思い起こさせるが、その後起こることとなった地中海を命がけで渡る難民の象徴でもある。またこの作品を最初に公開したのはオーストラリアの展覧会だったので、映像で現れる船は英国の帝国主義・植民主義とその暴力、境界線の恣意性、人間の移動性をも表すことになった。
レとチュンはそれぞれ個人での制作だけでなく、 2007年に、一緒に「San Art」というアーティスト・ラン・スペースをホーチミン市にオープンした。検閲が厳しい国では、アーティストの表現の自由を支える空間の重要さも無視できない。例えば、カンボジアの事例も興味深い。ポル・ポト政権下とその後の長い内戦の時代によって、カンボジアの多くの人は国から逃れ去り、長期間をタイの難民キャンプで生活した。タイとカンボジアの境界線の近くにあるキャンプで、あるフランスのエイドワーカーが子供たちのために絵描き教室を開いた。教育設備がほとんどないキャンプでは、子供たちにとってこの絵描き教室がとても重要な役割を持ち、自己表現をしながら他者とコミュニケーションを取り、何かを学ぶ機会になった。そのなかには、最近「Prudential Eye Awards for Contemporary Asian Art in Singapore」(プルデンシャルアイアワード)を受賞したSvay Sareth(スヴェイ・サレト)をはじめ、キャンプでの経験によってアーティストになった子供たちもいた。また個人制作だけではなく、カンボジアに戻り、バタンボンという町で「Phare」(ファー)という美術学校を設立し、教育に尽力する人もいた。この学校の特徴の一つは、非常に貧しい暮らしにある子供を積極的に入学させ、無料でクリエイティブな教育を提供していることだ。難民だった若者が、アートの専門的な教育を受けていないにも関わらず、その可能性を信じて、次世代のために美術学校を作り、現在カンボジアのなかで最先端のアート教育を促進している。
◼︎ 難民を受け入れる空間としてのアート

シリア、パキスタン、イラクの難民になったアーティストもたくさんおり、彼らは自分の「言葉」で自分の経験について語っている。それらの動向を見て行く上で、個人的には、表象としてのアートより、空間としてのアートに興味がある。
デンマークのコペンハーゲンには、2010年に設立された「Trampoline House」(トランポリンハウス)という難民交流センターがある。アーティスト、学生、専門家、そして難民自身によって運営されており、法律相談、言語教室、調理設備、保育サービスが提供されるとともに、難民と一般の市民が自由に交流できるような空間や、創造的なワークショップや討論会も企画されている。2015年4月には、「CAMP / Center for Art on Migration Politics」も動き始めた。移住問題や難民問題に長期的にコミットし、国際的に活動するアーティストの展覧会や関連イベントを定期的に企画することで、一方的に語るより、語り合うための空間を構築している。ここで重要なのは難民・移民を対象化しない原理だ。この展覧会において難民は鑑賞者として存在するだけではない。企画側にも難民経験者がいるため、積極的にプロセスに入ることができる。また、その展覧会は申し付けられたものではなく、さまざまなアクティビティのなかの一つのエンゲージメントと言える。
「Trampoline House」の利用者であるIshmail Soliman(イシュメイル・ソリマン)は、活動をこう評価している。
「ここでは、難民や亡命希望者も休息を得ることができる。料理を作って食べたり、ゲームで遊んだり、髪の毛のカットをもらったり、英語の授業を受けたりすることができる。自由にいろいろな人と交流し、リラックスしながら、自分の問題から少し離れた時間が過ごせる。デンマークでは、とても独特な空間だ。」(*12)
「Trampoline House」に似た場所が、他にもヨーロッパのあちこちで設立されている。このなかでも特に注目されているのは、南ドイツの小さな町アウグスブルクにある「グランドホテル・コスモポリス」というところだ。ここは普通のホテルと少し異なり、難民、アーティスト、地元住民、旅行者が集う「主体的に暮らせる場所」でもあるのだ。もともとは老人福祉施設だった建物をリノベーションし、アーティストのアトリエと、旅行者の宿泊ホテルと、難民施設を融合する場となった。そのため、さまざまな移動、さまざまな表現が出会う場所なのだ。ホテルのメンバーは、ドイツのアーティストのヨーゼフ・ボイスの概念を利用し、ここの施設を「ソーシャル・スカルプチャー」と呼ぶ。またボイスが主張した「誰でもアーティストである」(Jeder Mensch ist ein Künstler)を実行するために「このホテルでは、難民も自分で好きなように部屋を装飾することができる。なので、彼らが主体的に住むということを可能にしているのです。」(*13)
上記の二つの例は、積極的に難民へ設備を提供しているが、もともとアートスペースや文化交流拠点だった空間に、自然と難民が集まるという現象もあり、アート空間の可能性を鮮明にしている。54万人の人口を持つライプツィヒは2015年末の時点では5400人の難民を受け入れており、町のなかでも大きな存在感を持っている。難民申請後は宿泊や食料の面で困難はないものの、多くの場合まだ就労しておらず、ドイツ語も話せず、経済的な余裕もないのでどのように町と接触すれば良いか迷い、自分たちの居場所を探している。BRIDGE STORYに連載中の大谷悠さんが、1月28日に開催された「BRIDGE STORY ラウンドテーブル2015→2016」で教えてくれたのが、彼がドイツのライプツィヒで仲間たちと運営する「日本の家」が、今まさにそういった機能を提供しているという話だった。もともと日本とドイツの文化交流スペースであった「日本の家」では、定期的に「インフォ・カフェ」(さまざまな言語で対話する会)や「ごはんのかい」(皆で料理を作って食べる会)という、誰でも簡単に参加できるオープンなイベントを行っており、気軽に知らない人と交流できる場として難民の居場所の一つになっている。

2015年だけで100万人もの難民を受け入れているドイツでは、公的な空間である博物館において難民の雇用プログラムを実施している。シリア、イラク、イランを中心とした中東の遺物が多い博物館で、その土地の歴史に詳しい方にミュージアム・ツアーを行ってもらう企画である。社会の周縁に置かれた人々がパブリックな機関で他の市民と交流し、自分自身の知恵と経験を積極的に共有し、アートや文化への理解と同時に、難民問題への理解も促進している。
博物館、美術館、ギャラリーやオルタナティブスペースはある種のパブリック空間で、市民の意識を形成する場、または市民の意識によって形成される場と言える。このような空間で難民・移民が自分の居場所を見付けることができると、その意識もその空間も変容させることができる。
◼︎ 日本における移住労働者のネットワーク

この空間の持つ可能性について、日本に置き換えて考察したい。2015年、ディスロケイトの企画で、インドネシアのジョグジャカルタにあるKUNCI Cultural Studies Center(クンチ・カルチュラル・スタディー・センター)のメンバーであるブリギータ・イザベラさん(Brigitta Isabella)は、二ヶ月間東京に滞在し、その間に移住労働者、特にインドネシア出身の労働者の労働環境や暮らしぶりを観察した。インドネシアの移住労働者の多くは、「労働者」として認められてはおらず、技能実習生として「研修を受ける者」として認識されている。現在の日本では18万人を超える技能実習生がいるのに、彼らの存在は隠れていて表には見えて来ず、地方のアクセスしにくい工場・農場でばらばらに働いている。低賃金(時給600円以下)で(*14)、長時間の肉体労働も多い。療の部屋を10人で共有している実習生もいる。時間やお金の余裕もなく、危険な労働環境で働いているのに、そのことに対して組合を結成し、抗議する機会もない。地域の人たちと交流する機会も少ない実習生は、町や公共空間で集まったり、交流したり、表現ができる場所もないので、自分の主体性や権利を日本社会に向けて主張することも難しい。過去のBRIDGE STORYでも触れたが、ブリギータさんは香港の移住労働者の状況をリサーチしたこともあり、そのリサーチにおいて重視したのは「空間の生産」についてだ。週末、大勢が公園や広場に集う香港の移住労働者の存在はすぐ目に入る。自由に場所を利用し、ピクニックしたり、ロック音楽や演劇を楽しんだり、政治についての対話をしたり、自分自身のアイデンティティを公共の場で表現することで、開放的な空間を作り出している。レクリエーションを楽しみながら、労働問題についても共有ができ、労働者組合の形成にも重要な機会になっている。しかし日本で働く実習生は、その空間を作る機会もない。
とはいえ「外国人技能実習生」という待遇は、日本でも特殊な例で、国内にはさまざまな移住者のコミュニティがある。ブリギータさんの来日中に、「神奈川シティユニオン」という労働組合と交流した。80年代後半、「韓国スミダ電機」の工場閉鎖に抗議すべく、多く韓国の労働者(主に女性の方)が日本にあるスミダ電機の本社前に8か月の座り込みをした。「国内における外国人の権利も保護すべき」と神奈川シティユニオン執行委員長である村山敏さんは認識し、その時から30年近く、移住労働者を中心とした労働争議に取り組んできた。日本語のほか、スペイン語、ポルトガル語、タガログ語、韓国語、英語と、7か国語に対応できる組合は、毎週火曜日に川崎駅前で小さな集会を開くとともに、定期的に「アクション・デー」を設け、何ヶ所か会社を訪ね、抗議をしている。ペルー出身のメンバーが一番多く、東京、千葉、栃木、静岡などに住むメンバーを、ユニオンの活動を通して連帯することで、コミュニティを形成し、公共空間での抗議を通してその存在を主張している。そして彼らの存在がまた、公共空間を作り出してもいるのだ。ボニー・ホーニッグの『民主主義と外国人』が示すように、いわゆる外の存在がなかに居住することで、それもまた民主主義を可能にする。(*15)
もう一つ例を挙げると、「カラカサン」という移住女性のためのエンパワーメント・センターの活動も参考になる。フィリピン出身者が多い川崎・横浜を拠点に、キリスト協会と連携しながらDV、在留資格、子供を巡る問題を抱えている移住女性とその子供たちのために、カウンセリングやサポートを提供している。カラカサンはタガログ語で「力(ちから)」という意味であり、移住女性が孤立しないためのコミュニティとネットワークを構築している。扱う問題が神奈川シティユニオンと異なり、家庭内での出来事や、プライバシーを守るべき出来事が多いため、拡声器で公衆に訴えかけることは難しいが(ロビイングや集会は行う)、公園でのピクニックや、スポーツ、キャンプなど、レクリエーションを通してその場を自分のものにし、主体性を拡張し、そして交流を通して互いが直面する問題を意識し、共に取り組むことも可能にしている。ここでも、移住労働者による空間の生産が見えて来る。
◼ ︎移住労働者を可視化するアート

アートというヘテロトピア(heterotopia)は、移住労働者の存在を更に可視化できる空間を生み出せるのではないかと思っている。そもそも日本は多様性の高い国だが、その事実を改めて提示する試みも増えてきた。古郷卓司氏(アーティスト)、宮川敬一氏(アーティスト・Gallery SOAP主催)、毛利嘉孝氏(社会学者・東京藝術大学准教授)らがディレクターを務めた、「北九州ビエンナーレ 2009/2011」のテーマは「移民」だった。企画意図の一つは、「移民」という言葉とその存在を、より幅広く解釈することだ。

「移民という言葉は在日外国人を指す一般的な言葉ではなく、日本社会のなかでイミンの存在は今のところはまだ見えていない。 」(毛利嘉孝『Kitakyushu Biennial 2009/2011移民/IMIN(北九州国際ビエンナーレカタログ)』)

と紹介文に書かれているが、これはまさに日本の表層には見えてこない、多様性について指摘している。また、カタログでは次のように指摘している。

「「単一民族国家の神話」の今なお根強い日本において、移民はどのような状況にあるのか、そして、今後<移民>はどのようになっていくのだろうか。日本で生活している外国人たちを、未来の日本の貴重な資源として捉え直し、彼らを周縁ではなく、中心におくような新たな日本をつくる
こと」が可能だろう。(毛利嘉孝「さまざまな<移民>:グローバリゼーションと日本」)

国内外のアーティストによる「移民」をテーマにした作品展示が軸となったため、実際に新しい空間の構築までがなされたかどうかは問われるところだが、移民や外国人、そして二世、三世も含めて、国中において今までと違うアプローチで考える必要があるのではないかと提唱している。
少しアプローチを変えれば「Tokyo Immigration Museum」もその流れに入るが、主に在日外国人のアーティストや在日外国人とのコラボレーションが活動の中心となっている。展覧会よりもプロセスを重視し、リサーチとアーカイブに力を入れている。ホームページのプロジェクトの概要には、こう書かれている。

「私たち自身のコミュニティが多かれ少なかれ機能不全化し再構築の途上にあると考えるならば、彼らが(万年ゲストではなく)我々の同胞である市民として、コミュニティに参加できる枠組みが求められています。そして、彼らの文化と日本文化の差異から生まれるさまざまな発見や、生活の違和感、実質的な不便を改善する工夫などを彼らの立場から理解する必要性は、これまで以上に高まっています。」

ここでは、「外国から移住した人は、どのように日本社会と積極的に関わることができるか」という問いを強調しているが、モノを鑑賞するというミュージアムでは、まだその存在を対象化してしまう側面もあるだろう。
移民をテーマにした作品や、在日外国人が作る作品のためのプラットフォーム作りが多いかもしれませんが、空間を通してより自然に自らの主体性を現すということを考えると、「Art Lab Ova」(アートラボ・オーバ)という団体が、横浜の若葉町に運営している多目的なアートスペース「横浜パラダイス会館」は良い事例である。移住労働者、在日韓国人、中国人、そしてその二世、三世が多い若葉町では、「移民」や「外国人」などの言葉を使わず、いつも何かが起こりそうなこの空間に、気軽に出入りしている。フィリピン二世の子供が宿題を教えてもらうために訪れ、中国のセックスワーカーが軒先のフリーマーケットからカバンを購入し、ブラジルに長く定住していたおじさんはいつの間にかブラジル炭火焼肉屋を始めていた。立ち寄った個人の希望や視線によって、アトリエ、音楽スタジオ、ギャラリーからライブラリー、カフェやお店まで、空間の機能がすぐに変えられるような柔軟性が高い場所である。
 
「まちの狭間で「場」や「出来事」を通じて「関わり」を探る」アートを通してある種のコミュニティが形成されているが、いわゆるコミュニティアートでもなく、「参加」そのものへの圧力もなく、それぞれの自主性を大切しながら、有機的に発生するあり方を大切にするパブリック・スペースである。
高山明氏を中心にした創作ユニット「PortB」(ポルト・ビー)も、このような多様な空間を見出すように、2013年に参加型演劇作品「東京ヘテロトピア」を発表した。「東京ヘテロトピア」は東京のなかの“アジア”を旅する観光アプリだ。参加者はそのアプリによって、普段東京にいてもあまり触れないような場所、例えば劇場、墓、宗教施設、難民収容施設跡地、留学生寮、エスニックレストランへと誘導され、そこで隠れた物語を聞く。空間と声とが、ここで融合するのだ。2014年の横浜トリエンナーレで発表された《横浜コミューン》は、ベトナム、ラオス、カンボジアの移住者・難民が日本語を話す「日本語教室」を模したライブ・インスタレーション作品で、鑑賞者はラジオで聞く。音声のインスタレーションとして、それぞれのモノローグが聞こえる。ネイティブではないけど、日本語で上手にコミュニケーションを取っている様子。PortBの高山明の解説が印象的だ。

「これまでの歴史を見て来ても、占領政策とか思想統制をするときの鉄則として、言語そのものから正しくしていくということがあると思うんですね。日本でもそういうことをしていた。だから今、“正しい日本語”と聞くと相当違和感を持つ。正しくないピジン語的な日本語とか、日本語がクレオール語になってしまったようなものとか、そういう動きをもっと大切にすべきだと思っているんです。」(Magnet Culture Project Kanagawa 2014年)(*16)

PortBの作品は日本語の多様性を示すと同時に、新たな場所に移動してきた方にとって、新たな言語で自分の声を出すことの重要さも明らかにするものである。言語習得による再領域化のプロセスも始まるが、言葉や領域の在り方を変えていくプロセスでもある。
最近ある難民支援団体のスタディーツアーに参加したが、そのなかで難民に日本語を教える日本語教室を訪ねた。日本が条約難民以外個別で受け入れる第三国定住難民(主にミャンマー出身でタイやマレーシアに避難した方)の場合、多くの人が日本語に一切触れたこともなく、母国語の読み書きすら難しい。これから長く日本で生活することになる難民の方に日本語を教えるとき、一番大切な目標は「日本語が上手になること」と思ってしまうが、日本語教師室の先生の話を聞くと、第一大切なことは「エンパワーメント」で、つまり声を与えるというより、声を支えるということが重要だそうだ。(*17)この説明がとても新鮮で、「声を出す」ということの本質に近づく経験になった。このことは、言語と空間と他者の結合点が表れている。
ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリによると、「鳥の鳴き声」が脱領域化と再領域化のプロセスを示すメタファーの一つとされている。その鳴き声は鳥のテリトリーを区分けするものだが、そのテリトリーは閉鎖的になるわけではなく、外のテリトリーに向けて響き合うものでもあり、ある場所から他の場所への移動、定住を支えているのだ。『A Thousand Plateaus』(「千のプラトー」)では、この歌をリフレインと呼ぶ。さまざまなリフレインがあるが、それはいつも土地と繋がり、何かの起源と関係している。
この理論のなかで、リフレインとはアートではないかという論もある。アートも領域化を促進する側面はあるだろう。しかし、ドゥルーズとガタリも述べるように、脱領域化された生成変化(becoming)の空間とは、アートの空間のことである。
脱領域化とは記号を語義の文脈から切り離すということだ。そのギャップはアートの原点と信じている。と言いながら、そのなかで自分自身が歌っているリフレインはある種、ノンセンスになるだろう。

最後にスラヴォイ・ジジェクの言葉を引用したいと思う。ヨーロッパ、特にドイツでの難民に関する噂、誹謗中傷や恐怖に対して、次のように述べている。

「今日のグローバル資本主義が直面している問題は、外からの<侵入者>によるものだ。しかし、私たちは自分自身が変わり者で、自分の習慣が恣意的で異様なものだということを覚えておくべきだ。重要なのは他者のなかで自分を認定するより、自分のなかの他者を見出すことだ。私たちそれぞれが独特ですごく変だということが分かれば、違う生き方の共存・寛容の可能性が見えて来るだろう。」(*18)(New Statesman 2016年2月29日)

自分自身のなかに他者を探り、アートの空間・言葉を通してその差異を共有、批判することの必要性を、まさに今の世界が必要としている。
それに応じて、私は「I am a Migrant」と告白しよう。
注釈
※1. 『The Turbulence of Migration: Globalization, Deterritorialization and Hybridity』Nikos Papastergiadis, Cambridge, 2000年, p. 4
※2.同上
※3.『Reflections on Exile and Other Essays』Edward Said, Harvard University Press, 2000年, p.173
※4.国際移住機関 世界移住報告書2015を参照した。   
※5. 法務省:平成27年における難民認定者数等について 
※6. フィンランド政府によって公開された統計「Statistics on Asylum and Refugees 」  
※7. 『For a Politics of Nomadic Identity』Chantal Mouffe,1994年
※8. 『Nomadic Subjects: Embodiment and Sexual Difference in Contemporary Feminist Theory』Rosi Braidotti, Columbia University Press, 2011年,p.26
※9.「10 things you need to consider if you are an artist – not of the refugee and asylum seeker community- looking to work with our community」Rise Refugee
※10.Sara Shamma「How the Global Refugee Crisis Is Impacting Art」 Rob Sharp,Artsy,2015年11月5日
※11.Tiffany Chung「Educational booklet: Tiffany Chung / CAMP」    
※12. 「Trampoline house a unique place for asylum seekers and refugees」 CPH News,2015年2月
※13. Fujiko Yamamoto「グランドホテル・コスモポリス」がドイツに誕生 http://greenz.jp/2013/08/24/hotel_cosmopolis/ 2013年8月24日
※14. 厚生労働省「外国人技能実習生の実習実施機関にたいする監督指導、送検の状況(平成26年)」
※15. 『Democracy and the Foreigner』Bonnie Honig,Princeton University Press,2001年
※16. 高山明インタビュー 後編ー《横浜コミューン》を終えて
※17.『自己実現の日本語へ--条約難民に対する日本語教育がめざすもの--「声」を受け止め、「声」を支える』(特集 ライフステージに応じた 生活者のための日本語教育--当事者の声と提言) -- (実践のなかからの「声」) 内藤 真知子著、アジャルト (32), 23-27, 2009 年 国際日本語普及協会
※18. 「What our fear of refugees says about Europe」スラヴォイ・ジジェク、New Statesman、2016年2月29日

記事一覧