ムーニー・スザンヌ
Mooney Suzanne
都市で移動すること、都市と相互作用すること
全ての都市に、文化、歴史、そして特徴があります。馴染みの都市で、私たちは小道や通りを抜け、公共機関の交通網や、決められた道を使って、住居だけでなく、商業ビルや公共の建物の間を移動します。しかし、どれほど頻繁にそのルートから外れることがあるでしょうか?いつものルートの裏側、下、上、間や内側には何があるのでしょう。このレポートシリーズでは、私たちはどのようにある地点から別の地点まで移動しているのか、都市の壁の存在と、それを超えるもの、さらに、注目をされていない空間が、どのようにアートと交流の場として再利用されるようになったのかということについて考えます。
04 猫の生活:下、上、間、後ろ、向こう
建物が低く、人通りの少ない静かな地域を歩くと、猫が自由に歩き回っています。繋がれていない犬がさまよっていることもありますがとても稀ですし、齧歯動物はより暗く、ひっそりとした場所にいます。しかし、猫は東京周辺だけでなく、日本中の都市景観の至る所に存在しています。アパートでペットを飼えない人が、近所の野良猫に餌付けをすることもあります。
2011年の東京都福祉保健局の調査※1によると、東京には推定111万匹の猫がいて、その中の約6万匹が野良猫だということです。神社や公園では多くの猫に出会うため、その数よりもさらに多い印象を受けます。同じ調査によると、野良猫の数は一般的に問題視され、餌付けは多くの場合冷ややかな目で見られます。T.N.R.運動※2の導入によりその数は大幅に減少しましたが、猫のいない日本の都市を想像することは、少し難しいです。それぞれの地元の公園や神社には、そこに住みついた猫の集団がいて、対をなすように餌付けをしている人がいます。中には、定期的に猫と一緒に時間を過ごす人もいます。池袋サンシャイン60ビルの隣に、悪名高き巣鴨拘置所の跡地に作られた小さな公園があり、ホームレスの人々や十代の学生たち、そして大きな猫の集団が頻繁に出入りしています。公園には慰霊碑が建立されていますが、非公式に池袋猫公園としてよく知られています。

日本で猫は、道路上だけでなく、あらゆる文化を通して目にすることができます。アニメのキャラクターであるハローキティ(最近、メーカーのサンリオから「ハローキティはイギリス人の3年生の女の子である」という発表がありましたが)、ドラえもん(明らかに普通の猫ではありませんが)は、商品市場の大部分を占めています。ユーチューブで世間を沸かせたスコティッシュフォールドの「まる」は、世界的に有名になり、和歌山県貴志駅の愛される元駅長であった、故「たま」もそれに引き続きました。猫が日本の文化に登場したのは、決して最近のことではありません。招き猫は江戸時代からずっと幸運のシンボルですし、隋の時代まで遡ると、日本と中国の民間伝承に猫又が登場しています。擬人化された妖怪である猫又は、二本足で歩き、三味線を弾いている様子さえ描写されています。江戸時代や明治時代には、浮世絵や小説に頻繁に登場しており、その中からごく一例を挙げれば、歌川広重、歌川国芳の作品や、夏目漱石の風刺小説「吾輩は猫である」などです。ここ近年では、2004年のオープン以来日本中に猫カフェができています。人口よりも猫の数が多く、猫の島と呼ばれる田代島は、熱烈な猫好きにとってのメッカとなっています。現代日本のポップカルチャーとソーシャルメディアの絡み合った社会の最近の傾向として、猫の人気が高まりを見せています。

最近、海外でも人気があるのが、「ねこあつめ」というスマートフォンのゲームです。このアプリでは、ゲームに出てくる野良猫の写真や情報を集めます。猫のための餌やおもちゃを用意して、そこに猫が来たのかどうかを確認するというゲームで、ゲーム的な要素はほとんどなく、交流も最低限しかありません。しかしこのわずかな交流が、特に日本のユーザーの琴線に触れたようです。おそらく、この人気は、日本の野良猫の問題に対する多くの人々の姿勢を反映しているものだと思われます。ほとんどの人が、野良猫が増えることには賛成せず、物理的接触を持つことや、猫の健康状態に対する責任を持ちたくはないという一方で、時々現れる近所の猫との出会いを楽しんでいます。このことは、さらに一歩踏み込むと、全国的な低出産率と人口高齢化の一つの要因となる、多くの日本の若者の人とのつながりのあり方や、その欠如を映し出すものと見て取れるかもしれません。
バーチャルだったり、珍しく変わった猫でもない、無名で歓迎されることがあまりないような野良猫も確実に存在しています。猫を街の一部として受け入れている意識はないかもしれませんが、排除するという意識も低いため、住民と猫は都市空間を共有しています。猫の移動方法は人間とは大きく異なります。駅長であった「たま」の珍しい例外を除き、公共交通機関を私たちと共有することはありませんし、自動車や歩行者の交通量の多い高速道路や道は、猫にとって快適ではありません。しかしながら、高層の都市建築物は、猫にとって受け入れやすいものであり、公的か私的な土地かの議論の余地がある場所でも、自由に出入りすることができます。

心理地理学は、1990年代から研究者の間で再度注目を集め、人気となりました。シチュアシオニスト※3の後を継いだ、都市の研究・探求者は、都市空間のナビゲーションに意識的に遊び心と挑戦的なアプローチを取り込んでいます。「漂流」※4は壁の上や建物の間など、一般的な探求者の領域を超えて、普段は行かないような場所まで足を踏み入れる、実験的行動です。この政治的な意味合いを含んだ行動は、特に都心エリアの民営化や公共の抗議やデモにますます厳しい規制がかけられていることから、創造的なグループ「アンテルナシオナル・シチュアシオニスト」が、1950年代から1970年代に活動していた時と同じくらい、今日の問題に直結する可能性を含んでいます。実際に、「漂流」を政治的側面から完全に引き離し、純粋な美的経験とすることは不可能です。ギー・ドゥボールの「漂流の理論」※A自体がパラドックス(逆説)であるように、決まりに従った方法では自由に漂流することができません。学術的な都市探求者の自由な行動や、パルクール※5の実践者は、治安妨害だと過度に反応され、違法だとみなされることさえあります。意識的に法を無視することでさえ、熟考し、意識的に行わなくてはなりません。一方で、猫は自由に散策しているように見えますが、そこには独自の決まりがあるはずです。猫の強い帰巣本能は文献に残され、広く受け入れられていますが、まだ完全には解明されておらず、合理化もされていません。※B人間とは異なり、猫の認知地図は、大部分をパス、エッジ、ランドマーク、ノード※Cの主にビジュアル要素に頼るものではなく、方向感覚などの他の空間地図を利用しているかもしれません。生物学者のフランシス・H・ヘリックは「運動感覚」※6※Dによるものではないかと提唱しています。王立獣医大学とBBC Twoのテレビ番組「ホライズン」の共同プロジェクトでは50匹の猫を研究し、BBCのドキュメンタリー「猫の秘密の生活」では更にその中から小さな町に住んでいる10匹の猫に対象を絞って行動を追いました。 それぞれの猫の動きは、GPSで記録されました。この調査は、飼い猫の行動と習性について最も大規模に行われたものの一つで、飼い猫は家から200メートルまでの範囲を散策することができ、しかしながら他の猫との接触を極力避けているため、各々のテリトリーが重なる部分を時分割していることを示唆しました。猫の行動と地理的な地図を重ね合わせると、人間のために描かれた通路が、猫にはほとんど無関係なことが明らかになります。※E猫は、自身のテリトリーの範囲と境界線により関心があることがわかります。家と精神的に繋がれ、対立も避けることから、おそらく飼い猫は、現代都市でフラヌール※7(遊歩者)と呼べる存在ではなさそうです。そうは言っても、日本の都市を猫が自由に動き回っている様子は、私たちが繰り返し通っている決まりきった道から抜け出し、新しい経験を求めることを呼び起こしてくれるかもしれません。


《注釈》
※1「東京都における犬及び猫の飼育実態調査」東京都福祉保健局の平成23年度の調査
※2 T.N.R.とは: Trap=トラップ、 捕獲;Neuter=ニューター、去勢・不妊手術;Return=リターン、元の場所に戻すこと
※31950年代から70年代初頭にかけて、フランスを始めとしたヨーロッパ諸国において芸術・文化・社会・政治・日常生活の統一的な批判・実践を試みた前衛集団。
※4「漂流」は、心理地理学に関連して、ギー・ドゥボールによって導入された概念で、都市景観の中をあてもなくさすらい歩くこと。流動的で美学に基づいた体験を導くが、資本主義社会の一定の基準に対する拒否を表す政治的行為としても機能している。
※5 移動動作を用いて、人が持つ本来の身体能力を引き出し追求する方法。壁や地形を生かし、走る・跳ぶ・登るなどの動作を複合的に実践することで、生活やスポーツに必要なすべての能力を鍛える。
※6 運動によって起こる感覚。筋・腱・関節にある受信機がとらえ、自分の姿勢・位置の判断などに重要な働きをする。
※7 フラヌールは、シャルル・ボードレールの詩に登場する、放浪する人物の特徴描写です。多くの時間を家で過ごし、19世紀のパリの街をのんびりと散策します。フラヌールが学術論議に登場したのは、ヴァルター・ベンヤミンの著作を通してであり、それ以来、写真、建築、社会学を含む様々な学問分野で、重要な典型として言及されています。主要参照著作:ヴァルター・ベンヤミン、「キャピタル・オブ・ザ・ナインティーンス・センチュリー」パースペクタ12(1969年1月1日)


《参考書籍》
※A 「セオリー・デ・ラ・デリーヴ」、レ・レブレ・ヌエ、#9、ブリュッセル、1956年11月;アンテルナシオナル・シチュアシオニスト#1、1958年12月;シチュアシオニスト・インターナショナル・アンソロジー、ビューロー・オブ・パブリック・シークレッツの中で「セオリー・オブ・ザ・デライブ」として、ケン・クナブ訳・出版(バークレー、1981年、1989年)
※B フランシス・H・ヘリック「ホーミング・パワーズ・オブ・ザ・キャット」ザ・サイエンティフィック・マンスリー14、no.6(1992年):525-39
※C ケヴィン・リンチ「都市のイメージ (The Image of the City)」マサチューセッツ工科大学出版局、1992年
※D フランシス・H・ヘリック「ホーミング・パワーズ・オブ・ザ・キャット」ザ・サイエンティフィック・マンスリー14、no.6(1992年):539
※E「BBCニュース – シークレット・ライフ・オブ・ザ・キャット:ホワット・ドゥー・アウア・フィーライン・コンパニオンズ・ゲット・アップ・トゥー?」2016年2月6日(http://www.bbc.com/news/science-environment-22567526)



The life of cats: under, over, between, behind, beyond

Walking through the intermitted quieter areas of cities in Japan, with lower buildings and a lesser amount of people traffic, a sub-layer of feline pedestrians navigates the city. It is rare to see a dog unleashed and stray in this city, although that is not to say that they do not exist, and rodents are confined to the darker, even lesser frequented spaces. However, cats are a constant presence throughout the urban landscape, not just in the greater Tokyo area, but also throughout the country. Some of those who are not permitted a pet in their apartment take to feeding their local strays, although they are in the minority. According to a survey carried out by Tokyo Bureau of Social Welfare and Public Health in 2011 , there are an estimated 1.11 million cats in Tokyo, of which approximately 60,000 are strays. Passing a shrine or park, the concentration of cats gives the impression that the number is even greater. The same survey found that the number of stray cats is deemed to be a problem by the general public, and the feeding of strays is mostly frowned upon. Thanks to the implementation of T.N.R. (Trap, Neuter, Return), there has been a significant decline in the numbers, although a cat-free city in Japan is a little difficult to imagine. Every local park and shrine has its band of resident cats, with their counterpart of human feeders, though few, taking time to be around them on a regular basis. Next to Ikebukuro Sunshine 60 Building, there is a small park built on the site of the infamous Sugamo Prison, frequented by homeless people, teenage school children, and a large community of cats. The park houses a memorial to Sugamo Prison, but is more commonly and unofficially known as Ikebukuro Cat Park.
The presence of the cat in Japan is not solely on the streets; cats are, and have been, visible throughout culture high and low. Animated characters Hello Kitty, (though recently claimed by her makers at Sanrio to in fact be a third-grade British girl) and Doraemon (although an obviously atypical cat) dominate a great part of the merchandise market for kids and adult fans alike. Online, the Scottish Fold YouTube sensation Maru has reached the status of international celebrity, followed more recently by the late Tama, the beloved former stationmaster at Kishi Station in Wakayama. Although, the presence of cats in culture is far from a new occurrence. The Maneki-neko, or beckoning cat, has been a symbol of good fortune since it first appeared in the Edo period. And looking back even further, the Nekomata is evidenced in Japanese and Chinese folklore as far back as the Sui Dynasty. The anthropomorphism of these Yokai, ghosts or monsters, sees depictions of Nekomata walking on two legs or even playing the shamisen. Cats also feature heavily in Ukiyo-e and novels from the Edo and Meji periods, in the works of Hiroshige Utagawa, Kuniyoshi Utagawa and Soseki Natsume’s satirical work I am a Cat, to name but a few. More recently, cat cafes have popped up all over Japan since the first opened in 2004. Cat Island, or Tashirojima, an island overrun by a population of cats that outnumbers the island’s human population has become a Mecca for the avid cat-lover, adding to the recent trends in the popularity of cats in the intertwined worlds of contemporary Japanese pop culture and social media.
One recent Japanese gaming phenomenon is the popularity of the smart phone game Neko Atsume, both in Japan and more recently abroad. This application allows to user to ‘collect’ photos of and information on stray cats that appear within the game. The player leaves out food and toys for cats, and checks back from time to time to find out which of the game’s stray cats have paid a visit. That’s all. There is little actual game play, just this minimal interaction. But something about this interaction has struck a chord with the average user, particularly in Japan. Perhaps this popularity is a reflection of the attitude of many people to the issue of stray cats in Japan. Most people, while they do not approve of encouraging the proliferation of the population of strays, they do not want to physical contact, or to take responsibility for their well-being, however, they enjoy the occasional appearances from these local cats from time to time. Perhaps one could even take the comparison a step further, as mirror for the relationships, or lack thereof, among many young Japanese that is adding to the problem of the low birth-rate and aging population nationwide.
Outside of anecdotes of the virtual, the unique, or the strange, stray cats are not celebrated or even welcomed in most cases; yet, they are present. There may be no conscious choice to embrace cats as part of the city, but short of a conscious effort to eliminate them, the cat is interwoven into the city-dwellers interactions with the urban space they share. The cat’s navigation is quite different from that of the human city-dweller. With the rare exception of Maru the stationmaster, public transportation networks are not a shared by both. In the same vein, the highways or roads with much traffic, vehicular or pedestrian, are certainly not hospitable to cats. However, the planes of elevation in urban architecture are much more fluid for the feline, and with the considerations of public or private land moot she can venture freely into areas of the city.
Psychogeography has seen resurgence in popularity among academics since the 1990s, and following in the footsteps of the Situationists, urban explorers have employed consciously playful and subversive approaches to navigation of urban space. The dérive can lead one up and over walls, and between buildings into spaces rarely visited, beyond the path of the average explorer. This re-visiting of wandering as a politically loaded act has the potential to be just as relevant today as it was in the 1950’s to the 1970s when the creative collective Situationist International were active, particularly with the privatisation of inner-city areas and the increasingly strict regulations on public protest and demonstration. In fact, it is impossible to divorce the dérive from its political dimension to a purely aesthetic experience. Just as Guy Debord’s Theory of the Dérive is in itself a paradox, as how can one drift freely with an instruction manual, the free movement of the academic urban explorer, or participant in parkour are overly conscious of the act of sedition, or even law-breaking. Even a conscious disregard of the law is just that, a deliberate and conscious act. The cat, however, appears to roam freely. But surely the cat is following a map of its own creation. The keen homing instinct of cats has been documented and is widely accepted, but is yet to be fully understood and rationalised . Unlike that of the human city-dweller, mental mapping of the city does not reply on the predominantly visual elements of paths, edges, landmarks and nodes, and other means of spatial mapping may come into play, such as its direction-constant, or sense of direction, and what biologist Francis H. Herrick suggests might be due to a kinesthetic sense . A BBC documentary, The Secret Life of the Cat, follows the comings and goings of ten cats living in a small town, selected from the fifty studied through a collaborative project between the Royal Veterinary College and BBC Two’s Horizon programme. The route taken by each cat is mapped using GPS tracking. One of the largest surveys into the movement and habits of domestic cats, the findings suggest that the domestic cat can wander up to 200 meters from its home, but will actively avoid interaction with other cats, resulting in a time-sharing of areas of overlay of their respective territories. Observing the resulting images of their movements overlaid on geographical maps, it is clear that the cat has little regard for the delineations of pathways designed for the human . The cat is more concerned with the span and borders of its own territory. Between a psychological tethering to a home base, and an active avoidance of confrontation, perhaps the domesticated cat is not quite the flâneur of our contemporary cities. That being said, the apparently free movement of the cat within streets of Japanese cities can function as a reminder to explore, to wander and to look beyond the planned routes we repeatedly take through the city, whether as an act of defiance or a pursuit of new experience.

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