アートの連結力
ゲスト小山田徹
開催日2014.10.11
平成26年10月11日、3331 Arts Chiyodaにて、Art Bridge Institute(以下、ABI)が発足して1回目のフォーラム「アートの連結力」を開催しました。

第1部では、発足してまもないABIの概要を紹介するため、港千尋による基調講演と、6月から活動をスタートさせた「たまに塾」の中間報告を行いました。
第2部では、ダムタイプ※の初期メンバーで、現在は京都市立芸術大学美術学部彫刻専攻の教授である小山田徹氏をゲストにお招きし、「アートの連結力」をテーマにトークを行いました。
 
小山田氏は、1990年頃から、他分野の人と人とをつなぐ「共有空間」という言葉をキーワードに、さまざまな場をつくる活動をされています。
今回のトークでは、約60分間にわたり、今までの活動をたっぷりご紹介いただきました。
そのトークの中から一部を抜粋し、レポートします。

なお、今回のトークの中で、小山田氏が一番話したかったキーワードは「たき火」とのこと。
たき火との出会い目指して、小山田氏の共有空間を巡るトークが始まります。

※ダムタイプ
1984年に京都市立芸術大学の学生を中心に結成されたグループ。 性・人種・身体障がいなどの問題を取り上げ、映像・音響・パフォーマンスなどによって複合的な表現手段による作品を発表。海外でも高い評価を受けている。
まずは、「共有空間」を知る上での基礎知識について。

いま、アートについて考えること

それぞれの分野ごとに業界内スキルというものが存在しています。アートも同じで、アート業界の中で通用するスキルとして、アートの文脈ができています。
この「アート業界内スキル」が、他分野と関わりを持ったときに、どう有効に作用されて淘汰されて、残って行っているのか。そういったものの総体をアートのスキルと呼べるようになっていったら良いのではないかと思っています。

共有空間について

共有空間というのは、作ろうが作るまいが、既に存在しているものだと思います。1人の方がそこに存在していれば、存在自体が共有空間というものを内在しています。では、共有空間は何があると成り立つのかというと、それは愛だと思います。そして、その関係を積極的に獲得したという「労働」の感覚がないと、愛は芽生えません。
公な空間には「ここでくつろいでください」「ここがコミュニティスペースです」「ここがみなさんの交流の場です」というものが用意されている場合が多いですが、ただ用意されている空間を利用する、消費するだけでは、愛が芽生えず場との関係が深まりません。結果、そういう場は荒れて行ってしまうケースも多いですね。
でも今の時代、共有空間を作るための「愛」とか「労働」に付き合うことには、メンタルにもフィジカルにも関係性の体力が必要になります。そういうものを鍛えるために、社会には昔からカフェとか屋台とか、飲食の力が働いていました。たくさんの人と食事をする経験から、そういったものが鍛えられて来ました。
そしてこのような力は緊急災害時に、非常に有効な共有力になる。大震災を経験している日本では、だんだん関係性の体力が必要だとわかって来ていますよね。同時に、安定した時代が続くわけではないことも知っている。これから来る変化の時代を乗り越える為には、共有空間との付き合いや、創造力が必要になって来るのではないでしょうか?

共有空間の必要性を感じた時

私はダムタイプの初期メンバーとして、舞台美術や舞台監督として活動していました。
S/Nという活動をしていたとき、中心メンバーだった古橋悌治のHIV感染が発覚し、メンバーが向き合わなければならない事態になりました。このHIVを巡る思考と試みというのが、共有空間を考えるきっかけになったように思います。
大切な友人のHIV感染という事実をどう乗り越えたら良いのか、当時はエイズについての情報も少なく、ダムタイプのメンバーで話し合っても先に進めず、悲しみに明け暮れていました。
そのうちに、アート関係者だけではなくて、社会的なさまざまな問題に取り組んでいる方々と交流するようになり、共有関係が進んで、僕らにとってもアートから離れた活動が始まって行きました。そこで、90年代初頭に、アートスケープという共有空間を作りました。毎晩のように誰でも寝泊まりできて、ミーティングできて、飲み会ができるような、新しい議論場を目指しました。
「共有空間の獲得」に魅力を感じた小山田氏は、この後、本格的に空間作りを始めます。

カフェ

1993年から96年くらいまでは、ホームパーティーの延長で、友達の友達を連れてくるバーのような空間を作りました。全員がマスターになることができ、そうするとマスターをやりたいという人が出てきた。全員がマスターを経験することで、労働の派生による場所への愛の芽生え、非常に有効な場所になった。来ている人が得意分野のレクチャーを始めたり、新しいネットワークが生まれたり、奇跡の場所だった。
この活動は、建物からの立ち退きが必要になり、終わってしまいました。

その後、コミュニティカフェ「バザールカフェ」というプロジェクトを始めました。
バザールカフェは13くらいの団体の寄せ集めの理事会で運営しました。外国人のサポートをしている団体や、視覚障がいをお持ちの方のケアをしている団体、アルコール依存症の方のケアをしている団体、そしてアーティスト、いろんなグループが集まって始めました。いろんな有形無形な関係でできあがった空間です。
その中で、アーティストは便利屋さんのような立ち位置でした。何でもできる、そんな存在。
この時共有空間を作る上で重要視していたのは、料理というのは共有空間を成り立たせる為の非常に大きな要因であって、そういうものに全てのものを結びつけたいと思って、いろんなかたちで食を間においた場の作り方をしてみました。
それから、雇用者と被雇用者という関係や、ケアされる人とケアする人の関係など、そういった関係性がわからないようなフラットな状態を目指しました。そして、この場を経験した人が、次のフィールドでこの経験を生かしていって欲しい、成長の場にもなるようにと考えていました。
それから、働いている中で、誰かの個人的な秘密を共有したときに、それは絶対に人に話さないというルールを作りました。それから、できる限り、必要なものは自分たちの手で作ることをポリシーにしました。
どうしてもできないことはプロに頼むのですが、その場合はみんなで鑑賞しようということになっていました。
そうすると、プロの技1つ1つに対して賞賛の声が上がる。今の仕事をしている人は、分業が多く、クライアントから必ずお礼の言葉をもらえるわけではないですよね。「ありがとう」という言葉がもらえず、クレームしかこないのは、世の中の大きな問題です。
1995年1月17日阪神・淡路大震災が起こりました。この大きな出来事に対して、さまざまなボランティアが活動をする中、小山田氏も仮設住宅から市営のアパートに移り住む方々の共有空間作りに関わります。共有空間の重要性を改めて感じた小山田氏は、「屋台」「個人商店」「喫茶店」「小屋」などさまざまな共有空間に着目し、社会や行政と関わりながら、その研究と開発を進めます。
そして、ついに話は「たき火」へ。

たき火が生み出す共有空間

たき火は最古で最強で最小の共有空間だと思っています。たき火に勝るものはありません。
大きなたき火を囲むのは、どうしてもファシズム的な感じがするので好きではありません。できるだけ小さなたき火をたくさん…というのを基本方針にしています。そうすると、サイズ的に6、7人くらいが火を囲むことになります。6、7人くらいだと、名前を聞かずに話しができます。話しながら、火をくべる動作が間に入ることで、会話のリズムとか、沈黙のリズムとか、心地よい状態になる。これは何万年も火を見つめてきた人間が獲得してきた感覚だと思います。
東日本大震災の津波の後、たき火の火に励まされて生きられた人も多かったと聞きます。

それでも、この40年間くらいで、我々の生活は直火から遠ざかっています。強力な炎をつかって作った電気で生活がまかなわれ、小さな火というのは使われなくなりました。こどもも大人も、毎晩たき火を起こしてきた人類が、火から離れる時代を迎えていて、それは人類史上初めてのことではないかと思っています。これはどういう時代になるのだろうかと、はらはらしています。火事の危険性もあるのだけれど、そういう危険なたき火ではなくて、なるべく安全なたき火の仕方を学ぶべき。
だからできるだけ小さな火を作る機会を作って行きたいと思っているのですが、たき火ができる場所も減っている中、アートプロジェクトだと特別にできることがあります。
小山田氏の貴重なお話は、ここで終わり。質疑応答の時間になり、会場のお客様から小山田氏に2つ質問がありました。

1つ目の質問。
コミュニティアート全般に関わる問題ですが、記憶が個人化されてしまい、実績のストックを作ることが難しいのではないか?

回答
私は、小さなプロジェクトの方が、意外と息が長いと思っています。小さなプロジェクトは、阻害されがちなので、消えてしまうことも多いのですが、さまざまに変化しながら永遠に続いている感じがします。
小さなプロジェクトの場合、空間やシステム、組織、そういうものの維持から離れているので、いろいろな面で変わりやすいと思います。でも、変わるということは途切れたり消えたりするわけではなく、変容して持続したと考えられると思います。
僕は組み込まれて変容して行く状態もポジティブに捉えて行きたいと思っています。

2つ目の質問。
小山田氏にとって、アートとは何ですか?

回答
本当に申し訳ないのだけれど、今のところアートは利用させてもらっています。
本当にやりたいのはたき火だし、一緒に飯を食いたいということ。現象的なものの魅力にはまっているのです。
そういうものの中に、本質的なものを結びつける行為をした時に、美術というのは非常に有効な手法と思考を与えてくれる。本来美術というのは、そういうものだと思っている。美術が主目的ではなく、物と物の間に存在するのではないでしょうか?
関係性の中に含まれるという意味で美術があり、物理とか数学とか、学問と呼ばれるものは全ての何かと何かの間にあって機能すると捉えたいと思っています。

今回のレポートは、トークの一部を抜粋してご紹介したものです。
トークの全貌は、Art Bridge Instituteの機関誌「アートブリッジ」次号に掲載予定です。
お楽しみに。

平成26年10月11日14:00〜16:40
Art Bridge Institute フォーラム1
「アートの連結力」
ゲスト小山田徹(美術家/京都市立芸術大学教授)
ホスト港千尋、開発好明

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