ブリッジの作り方シリーズspecial
旅する編集室:多孔質のデザイン
ゲスト後藤哲也(デザイナー、OOO projectsディレクター)
開催日2017.11.29
2017年11月28日(火)〜12月16日(土)まで、大阪・肥後橋にあるCalo Bookshop & Cafeにて、作品展「POROUS ーTransit Republic 旅と校正2017 / proofreader traveler 2017」を開催しました。
その会期中にFLAG studioにて開催したブリッジトーク特別回をレポートします。


POROUS Transit Republic 旅と校正2017 / proofreader traveler

関連トークイベント「旅する編集室:多孔質のデザイン」
日時|11月29日(水)19:30〜21:00
場所|FLAG studio
登壇|後藤哲也(デザイナー、OOO projectsディレクター)
   港千尋(写真家、著述家、Art Bridge Instituteディレクター)




第1回
「POROUS Transit Republic 旅と校正」とは?



港 |あらためまして、みなさまこんにちは。今日はお集まりいただきまして、ありがとうございます。今日のトークのテーマ「POROUS(ポーラス)」の意味については後藤さんとの対談で紡いでいきたいのですが、Calo Bookshop & Cafeでの展示が昨日オープンしたばかりですので、まず初めにそちらの紹介させていただきたいと思っております。
私がディレクターをつとめるArt Bridge Instituteは、日本全国にたくさんあるアートコレクティブやアーティストの取り組みの間に、橋をかけていくことを目的に活動しています。半年に一度、活動をまとめた『ART BRIDGE』という大判の機関誌を発行してきました。
今回の展示は、その『ART BRIDGE』の特別号という形式をとりまして、実際の判型で刷られた色校正紙を会場に展示しています。

Calo Bookshop & Cafe|Osaka
Calo Bookshop & Cafe|Osaka
一枚の校正紙に、見開きが4ページずつ入っています。実際に面付けするときには上下が反転するのですが、今回は展示用ということで、印刷会社さんが気を遣ってくれました。
ウランバートルからはじまって、佐渡島、音威子府、バンクーバー、チェジュ島、台南、6つの土地を巡って撮影した写真とテキストが掲載されています。

実は、2017年3月に発行した『ART BRIDGE』の最新号はロサンゼルス特集でした。キュレーターやアーティストとロサンゼルスに行き、そこで展覧会をつくったり、リサーチをしました。ちょうどドナルド・トランプが大統領に就任するタイミングにあわせて、みんなでメキシコのティフアナという国境のまちにも行きました。新聞の一面が、どれも壁の写真だったのが印象に残っています。いくつかアーティストのスタジオを訪ねて、作品を借りてはロサンゼルスに戻って展示しました。
Photo by Kio Griffith / Tijuana
Photo by Kio Griffith / Tijuana
それをディレクションしてくれたのが、ロサンゼルスと日本を行き来しながら活動している、アーティストでキュレーターのキオ・グリフィス(Kio Griffith)です。今回の展示に合わせて、キオ・グリフィスがデザインしたアートジンも配布しています。
どうしたらポーラス的なジンにできるかいろいろと考えまして。紙を厚手にして自立できるようにし、立体的なジン、三次元のジンにしました。ピンク色のサークルにそって穴をあけると、ちょうど穴から月が見えたり、洞窟壁画が見えたりするようになっています。いくつか組み合わせがあるので、いろいろ試してください。


後藤|昨日、見てきました。シンプルな構成でしたが、読み解くのに時間がかかりました。実は僕もデザインの展示を企画中なのですが、そこでは移動する編集室をつくりたいと思っていて、通じるところがありました。
伺いたいのですが、校正刷りを展示した後の展開はどのように考えているのですか?あえて完成物ではないものを見せることで、鑑賞者に伝えたいことなどもあるのでしょうか?


港 |僕は80年代から、写真家や著述家としてさまざまな雑誌に寄稿してきました。印刷や編集に携わったことがある人はわかると思うのですが、本来は色校正の段階ではほとんど直せないのです。当時は神聖なもので、見せても触らせてももらえないくらいだった。今はだいぶ状況が変わっていると思いますけれど、ワンアンドオンリーの存在で、届いたときというのは独特なものがありました。念校が出ないときはこれで最後ですから、とても緊張するわけで。一方、ほぼ完成形が見えるものでもあるので、期待感というのかな?そういう相反する感情が、その場を満たします。
特に僕の場合は写真集でしょうか。一回限りの真剣勝負のような、特別な気持ちを引寄せたかった。それから校正紙は指示を出すものであって、永遠に完成系に辿り着かない不思議なものですよね。写真でいうとネガに近い、中間生成物です。


後藤|校正紙のような途中段階のものを見せることで、鑑賞者は完成されたものを見るという行為ではなく、旅のプロセスに参加するような。まさに「旅」というテーマに、印刷物が完成するまでの行程も入っているような感じを受けました。


港 |そうですね。ぜひ壁に近付いて、じっくり見てほしいと思います。それなりに情報量もあります。今回は文字数を抑えていますが、普段の『ART BRIDGE』は、薄い単行本一冊くらいの文字量があるんです。ギリギリまで詰めれば、見開きページに8000文字くらい入るメディアです。
第2回
アジアのデザイナーを紹介するダイレクトリー『YELLOW PAGES』



後藤|僕には2つの肩書きがありまして、一つは近畿大学でデザインを教えています。もう一つは、OOO projects(オー・プロジェクツ)という会社をしています。Out of office projectsの略なのですが、OOOと書きます。西天満にスタジオ兼展示スペース「OOO」をスタートさせたのがはじまりです。大学の仕事の誘いがあって、一度スペースは閉じてしまったりはしたのですが、いまはここFLAG studioの企画運営の委託なども受けています。
OOOには、そこになんでも入るよう伏せ字としての意味もありますし、ドットのような意味合いもあります。いくつかのものがくっつきあって、一つのイメージになるような。自分一人が出来ることではなくて、誰かとくっついてできるようなものや、何かを埋めていくことでできるようなもの、それがOOO projectsのプロジェクトに一貫していることのように思います。
Yellow Pages|idea
Yellow Pages|idea
今日のトークで紹介する『YELLOW PAGES』には前段があって、日本タイポグラフィ協会の機関誌がきっかけではじまりました。僕は万博にあったIMI(Inter Medium Institute)の卒業生なのですが、グラフィックデザイナーの奥村昭夫さんやIMIの卒業生らと、関西でこの機関誌を作ることになりました。機関誌は団体の内向きなものになりがちですが、外向きの情報も扱えるようなメディアにしたいと話し合い、ヨーロッパやアメリカのグラフィックデザインを扱うメディアは多いので、あえてアジアに目を向けたものにしようと。アジアのグラフィックデザインやタイポグラフィについての情報はほとんど入ってこなかったので、アジア7都市を巡り、現地のデザイナーにインタビューをする企画をたてました。
そのときにたくさんのデザイナーに会いましたが、いっそのこと一人に絞って、その人から見えてくる都市の状況や、ヨーロッパ中心のグラフィックデザインがいかにアジアで翻訳されているのか、もしくは翻訳されていないのか、そのあたりをじっくりと紹介できるような企画ができないかと。そしてはじまったのが、雑誌『アイデア』での連載『YELLOW PAGES』です。

これまで、香港、台北、北京、ソウル、バンコク、ホーチミン、シンガポールを巡りました。自分自身で訪ねて行って、デザインと書くこと、両方やっていました。一日とか半日とか時間をもらって、スタジオで話を聞く。そのあとで一緒にご飯を食べに行ったり、飲みに行ったりもしました。
デザイン誌のインタビューというと「インスピレーションは何ですか?」とか、「どういうデザイナーに影響を受けましたか?」とか、スタイルの話に終始してしまうことがあるので、日常の話や政治的な話題についても質問しました。この頃だと香港は雨傘運動、台湾はひまわり学運をやっていた時期で、政治的な問題に対してグラフィックデザイナーは何ができるのかとか、そういう話も出ました。
タイトルの『YELLOW PAGES』は、アジアのデザイナーを紹介するダイレクトリーということで、電話帳の「イエローベージ」と黄色人種の「イエロー」をかけています。白人デザイナーたちからしたらポリティカル・コレクトネス的に発音しにくいタイトルのようですが、インパクトはあったようです。日・英のバイリンガルなので、欧米のデザイナーからもフィードバックをもらえました。


港 |それぞれの都市は社会的背景も異なると思いますが、特にインパクトのある都市はありましたか?


後藤|「アジアらしさ」を求めてやっていたのではなく、それぞれの地域がどのようにデザインを翻訳しているのかに興味がありました。韓国はオランダ、香港はイギリスの影響を強く感じましたし。いまやインターネットもあって、翻訳ではなく直訳のような時代性も感じました。
どの都市もグローバル化されていくなかで均質的ですが、ベトナムはこれから変わっていくだろう面白さがありました。26歳のデザイナーにインタビューしましたが、その若さですでにベテランとして扱われていました。資本主義が入ってからまだ短いので、そもそもグラフィックデザインがなく、社会主義的なプロパガンダが一般的でした。
それから、北京はまだまだアートブックとしてのブックデザインの需要があり、面白い動きを感じました。


港 |東アジアや東南アジアだと、漢字文化圏とそうでない文化圏がありますね。タイポグラフィ的な傾向はありましたか?


後藤|植民地化されていないこともあって、タイには独自の文字文化はあります。ただタイポグラフィ的にいうと、東南アジアはかなりラテン・タイポグラフィの影響下にありますね。
漢字だけの文化圏で生きている人にとっては、日本のデザインは平仮名やカタカナが入ることで空間が生まれ、ポエティックな印象を受ける人もいるそうです。
第3回
会える場を作り出す『Mobile Talk』



港 |少しメディアの話をしますと、写真家として感じたここ20年での一番大きな変化は、グラフ誌がなくなったことだと思うんです。トークがはじまる前に、江之子島文化芸術創造センターで開催されている「学生がつくる大阪新美術館・enocoのコレクション展 20世紀の写真芸術」を見にいきました。素晴らしいコレクションで、ため息がでました。ヴィンテージプリントのオリジナルだと思いますけれど、いまは絶対につくることのできない、ほとんど写真の歴史150年分くらいが入っているような展示でした。
特に関西の写真クラブの、初期のコレクションは本当に充実していて。同時期のロシア・アヴァンギャルドや新興写真、未来派、なんとバウハウスまで、あの時代の表現が時差なく入ってきていることがわかる。
では、どうやって最先端の情報をものにしていったのか?少なくとも70年代まではオリジナルプリントを見る機会はなかったので、欧米の最先端の写真表現を、アジア諸国では雑誌を通して見ていたのだと思います。それらの雑誌が大判だったというのが重要だと思っていて、実際のプリントよりも大判で見ていた可能性もありますね。『Life(ライフ)』が創刊されて以降、その傾向も強まったのではないかなと思います。
『ART BRIDGE』を創刊するときに、僕が最初に提案したのは誌面の大きさでした。この見開きのサイズで、写真を見る経験を取り戻したかった。そして、この大きさだと何人かで一緒に見ることもできますよね。映画でもよくあるシーンですが、雑誌を広げていると、隣りにいる人が覗き込むわけですよ。いわゆる電子書籍と紙のメディアの違いは空間性にあって、紙のメディアには一つの場をつくりだす力があったはずなんですよね。まだまだ紙のメディアも力を持っているような気もしますが、アジアではどうでしょうか?


後藤|もうすぐソウルでUNLIMITED EDITION(アンリミテッド・エディション)がはじまりますが、日本でもオルタナティブな出版を対象にしたブックフェアが人気ですね。
実際に会わないとわからないような情報も多くて、各地で活躍するデザイナーたちと会えるような「Mobile Talk(モバイルトーク)」という巡回型のトークシリーズを、オウ・ニン(中国/キュレーター)、キース・ラム(香港/メディアアーティスト)、ヤン・ヨウ(中国/独立系写真出版社「Jiazazhi Press」主宰)とスタートしました。
移動するトークシリーズというコンセプトで、初回はFLAG studioを会場に、香港と台北でも開催しました。互いの情報をアップデートしていけるような場であり、それぞれの地域の人たちも集まって交流できるような機会になっています。これまでも、日本の著名なデザイナーがアジアで講演をするようなことはあったと思うのですが、もっとフラットな場づくりを目指しています。助成金の申請などもしていませんし、お金が稼げるわけでもないので赤字ですが、年に1回程度、旅行がてらにやりたいなと。
Mobile Talk|Osaka
Mobile Talk|Osaka
港 |トークには、どんなトピックが出てくるのでしょうか?


後藤|初回は、「♯Independent/Collective(個/集合体)」を共通テーマに、個人としての活動とコレクティブとしての活動を行き来することについて。また、そのためのネットワークをつくりたいという大きな目標がありました。
Mobile Talkをきっかけに、どこに行ってもその場所でコラボレートできるような関係性が築けたらいいなと。


港 |直接会って話をしたときの密度には、代えがたいものがありますね。特にデザインだと、直接ものを見せ合いながら話せることも重要なのではないでしょうか?ちなみに、やりとりは英語ですか?


後藤|共通言語が英語しかないので、基本は英語で話をしています。もう一つは、自分たちがつくったものを机の上に並べて、それをもとに話をしていく。会場の参加者も交えてみんなで話し合うときには、ものがあると進めやすいので。それはとてもデザイン的だと思いますね。フィジカルなものを媒介にして、話していく。
Mobile Talk|Taipei
第4回 (最終回)
多孔性世界論



港 |日本語では多孔性としましたが、今回のテーマのポーラスについて考えはじめたのは、台湾での展示がきっかけです。
2017年2月に台北で開かれた「Hieroglyphic Memory:Surveying Bangka Through Narrative Trace / 謎樣的記憶:從敘事軌跡探視艋舺」は、「一見では読み解けない都市の記憶」をテーマにした企画展です。台北に艋舺(バンカ)という、原住民の言葉で「小船」を意味する古いまちがあります。龍山寺というお寺や、近くには華西街の大きな夜市もあって、『民俗台湾』編集長の池田敏夫も愛した歴史のあるまちです。
この艋舺が、再開発でどんどん取り壊されている。古いまち並みは消えつつあり、代わりに高層マンションが建てられている。その状況のなかで新作をつくってくれないか、というのがキュレーターの要望でした。
日本人は僕だけでしたが、欧米からも何人かアーティストが参加しました。滞在期間も短く、制作期間や予算にも限りがあったのでトライ・アンド・エラーなこともありましたが、僕は再開発エリアがどのように取り壊されているのか興味を持ち、まちをリサーチしながら、撮影しました。
Banka
展示会場は「剝皮寮歴史街区」と呼ばれるエリアで、清朝時代の建物も残っています。地名の由来は、かつて中国から船で木材が運ばれ、皮を剥いで加工していた様子が見られたからだそうです。ここだけをみると艋舺の伝統的なまちなみがいまも生きているようですが、少しまちなかに入ると、その周りは全て壊されてしまうのではないかというような、暴力的な開発が進められていました。暮らしの履歴が残る面白い場所ですが、一旦再開発エリアに指定されると跡形もなく壊されてしまう。
Banka
建物を4つくらいずつ、一気に壊しているんですよ。そうすると、壊された家の隣の建物の壁に、タイルやインテリアなどの暮らしの痕跡が残されており、通りに面して剥き出しになっている。ヨーロッパでもたまに見かける光景ですが、ここまで綺麗なのは見たことがなくて、それがいたるところにあるわけですよ。

僕が展示したスペースは空き家で、何に使われるでもない、展示でもなければ使われなかったような場所です。
まち歩きをしながら、剥き出しになった壁の痕跡をスキャンするように撮影し、布にプリントして空き家の壁にかけました。常に風が通るので、作品が風に揺れて動くというインスタレーションです。そのときに、ポーラスという言葉が出てきたんですね。
1960年代に建築家の原広司さんが「有孔体理論」と呼ぶ空間理論を発表します。著書『建築に何が可能か 建築と人間と』(1967年)において、近代建築は壁や屋根、床、全体の形式を追求してきたけれども、これからの建築はむしろ窓や扉、つまり建物に空いている穴が重要だと考えた。さらに穴と穴が連結し合う、そういう反転が重要になるだろうと。自分は90年代以来旧石器洞窟を研究してきましたし、ヒョウタンが好きで本も一冊書きました。もともと穴とか多孔性の空間が好きなのですが、この展示をしたときに「自分はポーラス好きだったのだ」と自覚しました。
例えば、都市にとって重要なのも、隙間や不規則性、不連続な凸凹だと思うのです。そこに異物が漂着して滞在したり、変化を起こす。物質で言うとスポンジなのですが、不定形で穴の大きさも違うし、伸縮性持っているので外から来たものを吸収して膨らむこともできれば、出て行けば乾燥して縮むこともできる。そういう柔軟性や浸透性がないと、どうしても社会が硬直化するし、市民生活そのものが破綻してしまうように思います。
今回の作品展をはじまりに、これからも多孔性を持った空間や都市、メディア、デザインも含めて、ときには多言語で、いろんなクリエイターのポーラス的な考え方をエクスチェンジしていけたらと思いますね。


後藤|江之子島アートセンターのまちづくり事業に、僕が運営に携わっている凸凹ラジオというプログラムがあります。この凸凹は、港さんがいうような意味でも捉えられるなと思いました。
今後、ポーラス的な展示を多言語で展開するときに、港さんなりのイメージがあったりするのですか?


港 |特に興味があるのが、翻訳についてです。あえて多言語で印刷して読めるようにしたいですね。そこで誤読が生まれるかもしれないし、お互いの言いたいことが半分くらいしか理解できないかもしれない。けれど、むしろ全てが理解しあえないということが、これからは面白いんじゃないかなと。わからない部分を補うために、お互いに苦労するわけじゃないですか。そこに、ポーラス的なクリエーションが生まれるんじゃないかなと。


後藤|表面がツルっとしたコミュニケーションではなくて、凸凹か多孔か、表面がザラっとしたコミュニケーションということですね。


港 |そうそう。台湾のひまわり学運から半年くらい経ったころに、その抗議運動を東アジアがどう共有していくかという小さなワークショップを開いたことがあります。
そのとき、台湾で話している中国語と、香港で話している中国語と、韓国語、それと僕の日本語、4人のパネラーがあえて母国語で対談しました。どうなるかというと、全ての発言を、通訳を通してやりとりする必要があります。一言話すのにも、すごく時間がかかるんですよ。途中で「もう一回言ってください」とか、「何を言っているのかわかりません」とか。
でも、それをやることによって意味の伝達だけではなくて、感覚の共有が生まれる。「申し訳ないのだけど、もう一回言ってください」というときの申し訳なさとか。これって凸凹がない限り、なかなか生まれないじゃないですか。
そのことをもう少し考えていくと、写真やグラフィック、メディアを通して、そういう凸凹をあえてつくっていくようなことができたら面白いなと思っています。あえて落とし穴をつくるとか、穴を開けるとか、ポーラスという言葉には、そういう意味も込めています。


後藤|僕たちデザイナーは、感覚の共有や、一つ一つ翻訳していくようなことをスキップして一直線につなぐ効率的なやりかたを探してしまう人種です。そういうことに陥りがちなところに、あえてひっかかりをデザインすることが、多孔質なデザインなのかもしれません。今後のMobile Talkでも取り上げてみたいと思います。


港 |本当に面白い瞬間って、誤解があったり、対立が起きたり、ストップしてしまったり、これは本当に譲れないというエッジが見えたときだと思うんですよ。そういう瞬間は、相手に向き合っていながら、自分に向き合う瞬間でもあると思います。AIに任せられないコミュニケーションの可能性は、そこにあるのではないでしょうか。
いま一番気になっているのは、ネットワークという網状のアナロジーでは、もう僕らの世界は捉えきれないと感じているんですよね。神経やリゾームではない、別の関係性の表現がないかなと思っていて。穴が二つあれば、もうそれで行き来ができるわけです。

記事一覧