故郷をめぐる旅 佐渡
ネットワーカー・新潟支部 Vol.01
原 亜由美
©梶井照陰 ©さどの島銀河芸術祭実行委員会
わたしは故郷新潟で、土地と記憶をテーマにした『写真の町シバタ』というプロジェクトを手伝っている。写真とは不思議なもので、掘り起こすほどの手間もなく、砂を払う程度で埋まっていた縁を浮き彫りにする。明治の開港地となった新潟市周辺は、写真の導入と浸透が早く、写真文化の逸話の宝庫と言ってもいいだろう。この春、写真がつないだ縁で、わたしは『ART BRIDGE』を携えて佐渡と巻を訪れた。

佐渡では、写真家の梶井照陰さんが実行委員長となって、今夏『さどの島銀河芸術祭 2016』の開催を準備している。遠流の島として貴人や文化人が流され、あるいは金山や北前船で知られるように、古くから佐渡は文化の寄港地の役割を担ってきた。その島在住の若手が、芸術祭と名乗って伝統芸能や文化財の枠に囚われない発信をする姿勢には、心から共感する。写真家である梶井さんや版画家の方々が企画の中心にいるというのも興味深い。佐渡は能や鬼太鼓の芸能も盛んだが、写真・版画や上演芸能にはいずれも再生性があり、土地の記憶の継承に深く関わっているのだと思う。初開催で手探りの事務局運営に若干のあやうさも感じてしまったが、とにかく自分たちでやるという決意と、最初の一歩踏み出した勇気は素晴らしい。応援の気持ちを込めて『ART BRIDGE』の既刊全てを実行委員の方々にお渡しした。

巻は新潟市西蒲区にあり、昨年度のわたしのBRIDGE STORYの連載でも何度か取り上げた地域で、最近は自分で訪ねるだけでなく県内外の訪問者が来ると、よくお連れしている。先日はとうとう港ディレクターをお連れした。美術家の岡部昌生さんとABI事務局の関川歩さんも一緒である。最高齢にして熱心な『ART BRIDGE』読者である平岡マサイさんにお会いして欲しかったのだ。マサイさんは、明治期にハワイで写真業を営んだ平岡藤松(雅号は虹渓)の孫にあたり、この7月で98歳になる。マサイさんが書斎代わりに使っているテーブルの下に仕舞われていた『ART BRIDGE』には、何枚も黄色い付箋がつけられていた。港さんにサインをもらって大切にしていたわたしの保存版が、なぜか取り違えてマサイさんのところにあった。交換してもらうつもりが、付箋を見て「この『ART BRIDGE』の本来の行く先はここだったのだ」と思い直し、そのままにしてきた。港さんのmerciの筆跡に、わたしの思いも重ねて。マサイさんにお会いするたび、わたしはこの出会いで得たものを誰かに手渡したいとつくづく思う。時間的に遠くまで行く一番の方法は、本を読んで長生きをすることだ。生きていれば旅はつづく。
原 亜由美
1975年新潟県新発田市生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史専攻卒。大学在学中に音楽雑誌出版社編集部アルバイト勤務後、映画宣伝会社を経てレコードメーカーで音楽CDジャケット、パッケージ等の制作業務を担当。2007年フリーランスの制作コーディネイターとして独立、写真展等の展示企画にも携わる。
東日本大震災と前後して東京から活動拠点を地元・新発田市に移す。東京での活動を継続しつつ、2013年より写真の町シバタ・プロジェクト実行委員会に参加、事務局運営に従事。2014年度より敬和学園大学新発田学研究センター一般研究員の他、授業助手や地域コーディネイターを兼務。
2015年度BRIDGE STORYライター。2016年度ABIネットワーカーとしての活動と並行し、新潟のハワイ移民等、土地と記憶にまつわるテーマについてリサーチ中。

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