連れて行きたい場所 ─ 都市記憶ワークショップ:水交社の過去と現在
「ART BRIDGE issue#01」と同じ、「連れて行きたい場所」というタイトルのワークショップが、台南で行われるという。
主催者のお一人、台南芸術大学准教授の龔卓軍(J.j.Gong)氏と港千尋は、台湾のひまわり学運を取材したとき以来の仲だ。同じタイトルは偶然ではなく、港を介して「ART BRIDGE」を受け取った龔卓軍氏が、そのコンセプトに共感し、今回のワークショップに持ち込んだためだった。
いったいどんなワークショップが行われるのか?
じっとりと暑い6月末の台湾、ちょうどマンゴーが旬だというこの地へ、港千尋と二人、ワークショップに参加すべく渡航した。

台南市内に、「水交社」と呼ばれるエリアがある。
日本統治時代に、海軍関係者の居住地域になっていた場所だ。日本人の手によって、日本の建築様式を用いた住宅、学校、食堂などが作られ、その中に「水交社」と呼ばれる海軍士官の交流クラブハウスがあったため、この一帯は「水交社」と呼ばれるようになった。
第二次世界大戦後は、大陸からやってきた国民党空軍の居住地域になるが、当時も日本式住宅を改修しながら住み続けていたという。
いくつもの複雑な歴史の中で、気候と文化によって少しずつ形を変えて残ってきた瓦屋根の日本家屋は、現在は住み手がおらず、その多くが廃墟になっている。
更なる再開発の流れの中、土地が分譲され、建物も壊され、当時の様子を知る住民も減り、土地の記憶も失われつつあるそうだ。そんな中、地域住民や、元住民が中心となり、建物や土地の記憶を残していくための取り組みがなされてきた。
この試みを更に多くの人につなげ、「水交社」をいかに残していくのかを考えるべく、台南市文化局、台南芸術大学准教授の龔卓軍氏、リサーチベースの活動を行う写真家の陳伯義(Chen Po-I)氏、そして水交社で幼少期を過ごした人々(60~70歳代)が中心となり、行政と大学、そして市民が協働で取り組む、ディスカッションベースのワークショップが 、水交社地域にある志開小学校にて4日間にわたって行われた。
また、4月に沖縄で行われた「AABBネットワークミーティング」(※2)が縁となり、沖縄から、建築家の真喜志好一氏、山城知佳子氏(映像作家)、阪田清子氏(美術家)、仲宗根香織氏(写真家)らアーティストも参加した。

ワークショップは3部構成で進められ、それぞれの講師が、「都市の記憶」をもとにした、自身の活動や考えを紹介した。

①「写真・地図:陳伯義(Chen Po-I)」
台湾の写真家、陳伯義さんはGoogleマップを活用し、水交社の移り変わりを観察したり、解体された水交社の建物の撮影や、住民への聞き取りなど、都市の記憶のアーカイブ活動をしている。また、水交社を町として生かしながら保存していく可能性について考えており、レジデンスアーティストを招くなど、アーティスト村にする可能性についても提案した。

②「写真ワークショップ:港千尋」
港千尋は、それぞれの家庭にある古い写真や映像を持ち寄り、そこに写っているものについて話をすることで、個々の記憶や市民の知が、町の記憶につながるようなワークショップを行った。
ワークショップのまとめとして、写真アーカイブにおける重要な点(撮った人、写っている人、その写真を見ている人の存在の大切さ)を説明。
また、ワークショップタイトルである「連れて行きたい場所」について触れ、人は誰でも、まだ生まれていない誰か(こども)を、どこかに連れていく責任があるということ、そしてこどもたちは、誰かに連れて行かれる存在であるということ、つまり未来のこどもたちに、どれだけ「連れて行きたい」と思う場所を残せるか?ということも大切だと伝えた。

③「建築ワークショップ:真喜志好一」
真喜志さんの建築ワークショップでは、沖縄で残せなかった、2つの建物の物語を紹介。
一つ目は、通称「ペルー館」と呼ばれていたこども博物館。ペルーに出稼ぎに行った沖縄の人たちの寄付によって建てられたもので、当時こどもの福祉施設がひとつもなかった沖縄で、初めて建てられた、こどものための学びと遊びの施設。幼い日の真喜志少年もここに通っていた。しかし、いつの間にかこの建物はなくなり、今は更地になっている。
もう一つは、琉球政府時代に建てられた「立法院」。
保存や活用の案も出したが、99年に解体。立法院は沖縄の人たちにとって、自らの手で民主主義を発展させた重要な場所だった。
建築物には、建物に込められた思いが反映されている。その建物が壊されるということは、考えに触れることができなくなくなるということを意味する。もしもこの二つの建物が今もまだ残っていたなら、沖縄の人たちにとってどんなに大切な場所になっただろうか?と語りかける。
真喜志さんにとって、この二つの建物は「今も現存していれば、こどもを連れて行きたかった場所」だった。沖縄で残せなかった二つの建物の話をすることで、いま水交社で行われている取り組みが、いかに大切なことであるか、メッセージを送った。

以上、3人の講師の提案や考えに答えるかたちで、参加者(主に地域住民、元住民、学生、台南のアーティストやディレクター)はそれぞれが思いつく「記憶」にまつわるものを持ちより、水交社の記憶をシェアした。
例えば、自分がこどもの頃に聞いていたレコードを持ってきて紹介したり、家族の写真アルバムを見せたり。そして、そこから立ち上る記憶を語り合うことで、市民が持つ知識の交換の場になった。
「こうした知識の交換の場を持つことも大切だ」と龔卓軍氏。実は、水交社地区は大掛かりな再開発が予定されており、2年後には、敷地内に「文化施設」も建設することになっている。
この「文化施設」が担うべき役割について、それぞれの立場の考えをシェアしていくためのきっかけをつくることが、今回のワークショップの目的だった。今後もこのようなワークショップを継続していくことができれば、と話していた。

これからどのような形で、「水交社」が残されていくのか。
引き続き活動に注目していきたいと思う。

※1. このレポートは、5日間にわたるワークショップの概要をまとめたものです。龔卓軍氏による本ワークショップのレポートを「ART BRIDGE issue#02」に掲載予定です。

※2. AABBネットワークミーティング(Art Against Black Box)とは、港千尋、龔卓軍氏らが取り組む、東アジアのアーティストのゆるやかなネットワークを目指す活動。台湾ひまわり学運をきっかけに、活動をスタートさせた。

記事一覧