庶民信仰の肉身を近未来へ引接する傀儡子 — 交陪芸術誌
ネットワーカー・台湾支部 vol.01
呂 孟恂
1.「交陪芸術誌」とは

2017年1月15日から、台南にあるアートスペース「蕭壠文化パーク」で開催する「台南信仰芸術祭」のため、一年以上にわたるリサーチやインタビュー、そして編集を経て、『交陪芸術誌』(Kau-Puê)が2016年3月18日に刊行された。
「交陪」とは、台湾語で「互いに助け合い、何かを共に一緒に作ることで関係を繋いでいく」という意味だ。『ART BRIDGE』とも意味が近いように思い、『交陪芸術誌』を紹介するレポートを書いてみたいと思った。

この雑誌は、すでに「芸術作品」と認識されているものを文献によって考察するのではなく、範囲を限定しないフィールドワークによって、民間信仰や伝統的な民間芸能の中にある芸術性を探るものだ。
全四号に、美術評論家、研究者、アーティスト、民間芸術の伝承者など、総勢二十二名のインタビューや寄稿を掲載しており、それらは文献だけではなく、祭などのフィールドワークを通じた出会いから、編まれた人選だという。

『交陪芸術誌』の二号で紹介したなかに、張徐展(チャン・シュシャン)という若いアニメーターがいる。彼の作品は一見すると、紙でつくった人形やものを、ねじり、壊し、観た人に強い混乱や不快感、虚脱感など、心が滅入る感じを与える。なぜ彼はこのような作品をつくるのだろうか?
リサーチをしていくなかで、張徐展の作品と、彼が「紙紮技芸」の家の出身であることが繋がっていく。
「紙紮」とは、道教の葬式において、死者のためにつくる紙細工のことだ。故人の生前の暮らしや、興味関心に合わせて、家や車、生活必需品、娛楽用品、僕人(召使い)やペットなどを模してつくる。道教では、「人は死んだあと、西方極楽浄土へ向かう」という観念があり、死者はこの世界から離れて、別の世界で新しい生活を送ると考えられている。「紙紮」を葬式のあとに燃やすと、死者の世界において使えるものになると考えられており、必要不可欠なものであった。しかし時代の移り変わりにより、「紙紮」の風習の衰退を目の当たりにした張徐展は、家族にとっての自分と、アーティストとしての自分が相互に影響しあい、作品をつくるという。


2.「近未来の神々」

故人により、多種多様な「紙紮」が用意されるのだが、「金童玉女」という二人の男女のこどものかたちをした紙紮は、必ず用意されることになっている。この二人の金童玉女は、「金童接引西方路」(※1)「玉女隨行極楽天」(※2)という対聯(ツイレン)を手にしている。伝説では、人々が死んだ後、玉皇大帝(※3)が金童玉女を死者のもとへ迎えに行かせて、極楽浄土までの道案内をさせると言われている。死後の世界の中に、特別な「肉身」(生身のからだ)があると思われている道教では、死者の世界が生者の世界と同じ暮らしをしている状態が想像されており、「引接」(※4)の姿は、死後の肉身の存在を表している。

『交陪芸術誌』の編集長、龔卓軍氏(台南芸術大学准教授)は、「台南信仰芸術祭」のコンセプトとして、

「伝統的な民間信仰の芸術表現の中には、過去の宗教に対する郷愁ではなく、近未来の神々に向かう、潜在的な可能性がある。さまざまなメディアや新しい世代のアーティストによって、一つの芸術様式になる。」(「近未来の神々」『交陪芸術誌』一号より)

と寄せている。すなわち、民間信仰の芸術表現の中にどのようなアートが立ち現れるのかを思考していきたいと考えているのだ。コンテンポラリーアートによって、それらの文化に隠れている現代性を引き出し、具体的な芸術表現に転換する。この『交陪芸術誌』もまた、民間信仰における、芸術の肉身を表しているだろう。

※1金童が迎えに来て、西方浄土へ連れて行くこと。
※2極楽浄土への旅を、玉女が随行する。
※3中国道教における最高神
※4金童玉女が死者を迎えにくること



3.『交陪芸術誌』のつくりかた

『交陪芸術誌』の編集方法にはいくつかの特徴がある。
一つ目は、「インタビュー」とその編集の方法。インタビューは一対一でなく、グループでおこなった。質問も限定せず、話し合いをしながら進めたので、一人のインタビューに一日中かかるのは珍しくなく、時間と体力が必要だった。しかし、その分、予想外の収穫もたくさんあった。
編集者がインタビューの内容を元に、書いた文章もある。どちらも、整理したものを何度も確認し、討論をしながら進めていった。

二つ目は、テキストを中国語と英語の二カ国語で掲載したことだ。そのため、中国語の原稿を最終確認してから英語の翻訳を進める必要があり、最終校正までに、何度も修正が必要になった。台湾の民間芸術や信仰文化、例えば「布袋戲」(プータイシー※5)や「茭杯」(ブァッベイ※6)などの固有名詞は、国際的なものではなく、英訳が存在しない場合も多い。正しく世界に伝えるために、7人の優秀な翻訳者が参加し、思考をしながら、慎重に英訳を進めた。

三つ目は、制作チームの構成。編集は四つのチームに分かれて互いに協力をしながら、作業を進めた。編集(編集長、編集者)、行政(進行管理、経理)、美術編集(デザイン、写真)と翻訳(翻訳、英語校正)である。制作チームのメンバーは、「一人で複数の異なる作業を遂行する」や「フラットな立場での共同作業」というスタイルを大切にした。もし二ヶ国語の展開や、編集方法がこの雑誌に綺麗な骨組みを与えたなら、このチームでの作業は血と肉を与えたと思う。
こうして完成した『交陪芸術誌』は、「印刷物による展覧会」を体現するものになった。

※5 台湾の民間芸能の一つで、布で作られた人形の芝居
※6 中華圏で使用される、占いの道具



4. 傀儡子としての『交陪芸術誌』

平安時代から、日本の芸能史には、流浪の民や旅芸人が登場する。そのなかには、「傀儡子」という狩猟と傀儡(人形)を使った芸能を生業とした集団がいた。(大江匡房著『傀儡子記』)

「芸能によって生計を営む集団であり、一部は寺社普請の一環として、寺社に抱えられた「日本で初めての職業芸能人」ともいわれている。」
(Wikipediaより引用)

それゆえに、「傀儡」とは主に操り人形の意味ではなく、彼らは諸国を旅し、木の人形によって、各地の信仰と文化を拡散させ、各地の庶民の息を接引する担い手であった。つまり、庶民の霊と精神がある肉身の再現である。
コンテンポラリーアートを玉皇大帝に喩えるならば、『交陪芸術誌』は玉皇大帝が派遣した金童玉女のように、生活のなかに隠れているアートを迎えに行き、近未来ヘと連れて行き、その現代性を見せる。

『交陪芸術誌』という印刷物も、未完成な、潜在的エネルギーが充満する台湾の伝統的な芸術文化のなかで、傀儡子のような役割を担うと思う。『交陪芸術誌』は、国境がない土地を旅するように、民間に、広域に散らばるものを拾い、紙によって台湾の生活のなかにある、伝統的な芸術文化を再現するのだ。



呂 孟恂
台湾・台北市生まれ。国立成功大学芸術研究科修士課程在籍中。2013年、『身体の道・舞踏志異プロジェクト』に参加し、中日通訳を担当。14年『絶対不純粋 東アジアの論壇:報民/AABB―台南/東京交流プロジェクト(Absolutely Impure East-Asia Forum: POST News/Art Against Black Box—Tainan/Tokyo Exchange Project)』において通訳ディレクターを務める。同年『r:ead#3 レジテンス・東アジア・ダイアログ計画』においてアシスタント・ディレクターを務める。雑誌『芸術観点ACT』に不定期に掲載される宇野邦一や港千尋等の翻訳を担当する。

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