飯舘村の記憶と記録プロジェクト 現地視察ツアー飯舘村の試みと未来
《11月17日・1日目》

12:30 福島駅からバスで出発。
飯舘村に向かうバスのなか、たわわに実る柿の木がたくさん見えて、その冴えるようなオレンジ色が美しい。実りの秋。外は小雨で、手がかじかむような寒さ。飯舘村は標高が高く、冬場は氷点下も続く、寒冷地帯だそうだ。

飯舘村に入ると、水田や畑の土が除染作業で削り採られ、黒いフレコンバックに入れられて積み重なっている風景があちこちに見られる。いままで耕してきた農家の宝が、こうして削り取られ、失われることのやるせなさ。
また、村の人たちが丁寧に守ってきた伝統文化や信仰、コミュニティもつながりを失いつつある。


また、福島のいまを外に伝える機会が減ってきていることが危惧されている。
地域の方々にお話を伺うなかで、「福島のいまが報道されないことで、福島で起きたことが忘れられること、福島で起きたことさえなかったこととして社会が進んでいくこと、このことが一番悲しい」という言葉が残った。


《11月18日・2日目》

昨日と同じく、12:30 福島駅からバスで出発。
バスのなかで、飯舘村について教えていただいた。
福島第一原子力発電所から30~50km圏内にある飯舘村。事故直後はより原発に近いところから避難してくる方々の受け入れをしていたそうだが、徐々にこの辺りも危険だという話になり、数ヶ月経ったのちに全村避難が決まったそうだ。

飯舘村のなかには20の行政区がある。うち19の行政区は「居住制限区域」として、日中は村に入ることができるが、住むこと(泊まること)はできない。村南に位置する「長泥」という地域は「帰宅困難区域」に指定されている。境界線(行政区画で仕切られた)にはゲートがつけられ、立ち入るには届け出が必要。ゲートのなかは、除染作業がされていないそうだ。
「居住制限区域」では、帰村に向け、段階的に除染作業が進められている。ただし除染作業にも莫大な時間と費用がかかるため、除染対象は道路から20mまでのところで、山などは除染対象にならない。
除染のために土が取り除かれたところには、村内の山を切り崩して出した砂が戻されている。

数年後の帰村を目標にしているが、その時がつまり、「今まで通りの暮らしに戻れる時」とは考えられない。奪われたものはあまりに大きく、村を取り戻したいと願い行動しつつも、取り戻せるものの現実とも向き合わざるを得ない状況が続いている。

飯舘村はもともと米作、畜産(飯舘牛)が盛んであったそう。寒冷地帯で米には不向きな土地柄だったようだが、丁寧な村作りが実りある土地を耕してきたのではないだろうか。
また2010年には「日本でもっとも美しい村」連合への加盟も果たしており、紅葉も川の流れも、自然が本当に美しい。

ツアーの最後に、いいたてまでいの会の皆さんに「いいたてミュージアム」を見せていただいた。ポータブルの展示なので常設の展示空間はないが、ツアー参加者のために、特別にセッティングしていただいた。
声高に訴えかけるような展示ではないが、ものと対峙しながら、そこにかつてあったもの、そこで起きたことについて、意識を巡らす。そしてその体験は自分の記憶に残る。
ご案内いただいた小林めぐみさんが、「このいいたてミュージアムは、地域の方々も大切にしているプロジェクトなんです。」と紹介していたのが印象に残る。

ツアーの途中、「いまを知ってもらいたい、情報を広めてほしい」という言葉と、「でも、フレコンバックの山の映像だけが拡散されていくこともちょっと違うような気がする」ということを、悩みながら、両方おっしゃっている地域の方がいた。いいたてミュージアムは受動的に受け取る映像とは違い、ものと対峙するときに、あくまで能動的に関わること、想像することが必要になる。こういった姿勢は、今後福島について考えるときに、私たちが持っていなければならないと感じた。

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