大谷悠
Yu Ohtani
まちに「あそび」をつくりだす ― 都市空間を私たちの手に取り戻すために
禁止事項だらけの公園に、人を排除する公共空間、止まらない大規模な再開発、なんだか最近都市の生活がますます窮屈になっています。事なかれ主義の行政や、利益至上主義の不動産開発業者たちを批判することも必要ですが、都市に生活する私たちが動くことで状況を変えることもできます。それは都市に「あそび」を作り出すこと。この「あそび」には2つの意味があります。一つは活動を通じて、まちの人々が参加できる「楽しい遊び」を仕掛けていくこと。もう一つは都市の中に「空間的なあそび」を作り、人々の交流や活動のベースとなる場所を維持していくこと。この2つの「あそび」を追求することが、都市空間をもういちど我々の手に取り戻していくことにつながるのではないか。そんな仮説をもとに、日本とドイツの5つのケーススタディを紐解いていきます。
03 「公共空間」で「あそぶ」— 小倉城を攻め落とした話
■ 窮屈で退屈な公共空間

近年、公共空間の使いづらさや問題点が指摘されています。禁止事項だらけの公園や、「安全性」を担保するために遊具が撤去された遊び場、誰のために整備されたのか分からないような遊歩道やオブジェクトなど、「なんか変な公共空間」として思い浮かぶものは数多くあります。まちなかは広告のディスプレーと広告の音楽で溢れている一方で、露天やフリーマーケット、パフォーマンスなどは規制され、市民が行う路上ライブの歌声が聴けないというのも、公共空間を市民の税金で整備していることを考えれば変な話です。

都市空間、特に公共空間が退屈で窮屈であるということは、都市に住む全ての人々の生活にとって致命的な損失です。しかし公共空間を「つくる=設計する」のは一部の人々に任されていて、一般市民である私たちはなかなか関わりようがありません。近年公園づくりワークショップや遊び場づくりワークショップなどが行われていますが、実際ははじめから「落とし所」が決められていて、行政とコンサルが書いたシナリオに市民を立ち会わせて了承を得た体にするためのものになりがちであり、名前だけの「市民参加」という印象が拭えません。建築家の馬場正尊が著書『Re:PUBLIC – 公共空間のリノベーション』(2013)で、

「公共空間は、行政が管理する空間のことではなく、より開かれた使い手のためにある空間のはず。それが混同されていることが問題である」

と端的に指摘しているように、もっと直接的に、使い手である私たち市民・住民が都市の公共空間を豊かにするにはどうすればいいのでしょうか。2013年に北九州市小倉で行われた「風雲!小倉城」は、まさにこのことをテーマとしたアクションでした。


■ 決行!「風雲!小倉城」

「風雲!小倉城」は北九州リノベーションスクールの「公共空間活用コース」として開催されました。このスクールは2011年夏に「空き家などの空間資源を活用し、地域の諸問題を解決する」ことを目的として始まったもので、福岡県北九州市で年に2回のペースで行われています。2014年春に初めて「公共空間活用コース」が設けられ、市内の公共空間をいかに魅力的に活用できるかということを考え、実行するという課題が課せられました。企画・運営を任された私たちライプツィヒ「日本の家」が出した答えが「風雲!小倉城」だったのです。
▶「小倉城」を攻め落とす!

「風雲!小倉城」は2014年の3月21日と22日の二日間にわたって行われました。その1日目に行われたのが「城攻め体験!大運動会」でした。
小倉城は小倉のまちの真ん中にある、小倉を代表する公共空間です。春には花見客が集い、観光客や地元の人々がのんびり散歩しているような平和な場所です。しかし歴史的には九州の武士たちが築き上げた要塞であり、幕末には高杉晋作率いる奇兵隊と幕府軍の戦いの舞台にもなった「戦いのための空間」でもあります。そびえ立つ石垣、鉄砲狭間、大手門から続く急斜面、攻め手を迎え撃つための高台などがそのまま残り、戦いのために合理的に設計された空間であることが今でもよくわかります。
鉄砲狭間からパラシュートを発射し、子どもたちがキャッチする
「城攻め体験!大運動会」の目的は、教科書や展示を見ているだけではわからない「戦いのための空間」という小倉城本来の性質を、子どもたちに「城攻め」を通じて体験してもらうことでした。鉄砲狭間から発射された「うまい棒」つきのパラシュートを受け止め、急斜面を大玉を転がしながら駆け上がり、死角に潜む忍者をかわしながら進むと、その先の高台には忍者の化物が口を開けて待ち受けている….という具合に、5つのステージが用意され、最後に忍者に囚われていた小倉城のマスコット「とらっちゃ」を助け出して小倉城を無事取り戻す、というストーリーでした。
photo: Naoto Kakigami
当日は70人ほどの子どもたちが集まり、次々に現れるステージに大興奮しながら挑みました。参加した女の子が地元テレビのインタビューに「お城にはよく来ていたけど、こんな風に楽しめるならまた来たい!」と話してくれたのがとても印象的でした。
地元テレビ局のインタビューに応える参加者の女の子
▶「まちなか」でRPGをやってみる!

2日目に行われたのが「まちなか体験!リアルRPG」でした。RPGとは「ロール(役を)・プレイング(演じる)・ゲーム」の略で、ドラクエなどのテレビゲームを思い出す人が多いと思います。これを実際のまちなかでやってみたらどうなるだろう、というアイディアから「まちなか体験!リアルRPG」が生まれました。小倉のまちは中世の城下町の構造を今に残し、名所や文化施設、商店街などがギュッとコンパクトにつまっていて、歩いて見て回るのが楽しい、まさにリアルRPGにうってつけのまちなのです。
リアルRPGのマップ
当日は家族層を中心に約70人の参加者たちが地図を頼りに小倉のまちを歩きまわり、5箇所に仕掛けられたミッションに挑戦し、そのあと小倉城の最終ミッションに挑むことで「全クリア」を目指しました。各ミッションはシーボルト、ザビエル、森鴎外、松本清張といった小倉ゆかりの偉人たちと小倉に関するエピソードが関連付けられていています。例えば松本清張がよく買い物にきていたという旦過市場には、「現代に迷い込んだ清張を市場に隠されたヒントをもとに探しだそう!」というミッションが、200年前にシーボルトが渡った常盤橋では、「現代の小倉図鑑を編纂するシーボルトを手伝おう!」というミッションが仕掛けられました。
photo: Naoto Kakigami
ある参加者の方は「長らく小倉に住んでいますが、ここが『長崎街道』という歴史ある道だったと始めて知りました。」とおっしゃっていました。このコメントが象徴するように、参加者の方々は普段何気なく通り過ぎているまちにもたくさんの歴史的なエピソードがあったり、知らない道があったりすることを新たに発見することができたのです。
旦過市場で松本清張の大好物を探すミッション。小倉の名物「カナッペ」がよく売れた.
■ 「空間」と「人のつながり」というまちの資源

このように、「風雲!小倉城」は2日間で参加者合計150人ほどの小さなイベントではありましたが、小倉ならではのオリジナリティをもった内容であり、参加してくださった方々に小倉の歴史と文化を身近に感じてもらい、まちに興味を持ってもらうことに成功しました。特に「まちをつかって遊びまくる」という点にインパクトがあったようで、地元テレビやラジオにも取り上げていただきました。この試みが成功した背景には、「空間」と「人のつながり」という2つの地元の「資源」がありました。
「空間」:まちの歴史は、資料館や教科書で知識として勉強することが多いものです。しかしまちを丁寧に観察してみると、そこには歴史や文化を表す空間的特徴が必ず残されています。「風雲!小倉城」では、現在に残る都市の空間的な特徴を読み解き、それを人々にわかりやすく体験してもらうという点を大切にしました。
お城の空間が「戦いのため」の空間として設計されていること、戦災を免れた市場の空間が迷路のように入り組んでいること、高度成長期に計画された道路開発が人口減少期の今でもなぜか続いていて、歴史ある街道沿いがアスファルト・ジャングルに変わりつつあることなど、その視点は様々で時に批判的です。こういったまちの特徴や変化に対し、空間的なイベントを仕掛けることで、歴史・文化・都市問題などを文字通り体で感じてもらうことを目指しました。
これは特に、まちの将来を担う子どもたちにとって重要です。まちの歴史を、体を使って汗をかいて体験することは、本やスマホで得た知識よりも子どもたちに染み込み、創造的な思考を養う大切な糧になるのです。
城攻めのリハーサル風景。自分たちでやってみながら大玉を転がすタイミングやルールを決めていった。
「人のつながり」:リノベーションスクールを運営しているのは北九州家守舎という地元の建築家、起業家、研究者らがチームを組んで起こした地元企業です。家守舎は北九州市をはじめ、地元のまちづくり会社、商店会、住民団体、不動産オーナーなど非常に幅広いネットワークを地元に形成しています。この公私入り乱れる人的なネットワークがあったからこそ、従来行政が縦割りで管理してきた公共空間で「風雲!小倉城」のような挑戦的なイベントが可能となりました。特にお城は小倉のシンボルであり、今までなかなか思い切った使われ方はされてきませんでした。しかし小倉城の指定管理をしていたまちづくりNPOの方と家守舎の建築家の方の個人的な信頼関係が起点となり、このようなイベントが実現しました。
リノベーションスクールを通じて、地元でめっぽう顔の効く「キーパーソン」と巡り会えたことも大きな幸運でした。使用許可をもらう際や、材料集めや人集めの際、地元のネットワークにアクセスできることはとても重要でした。
「公共空間活用コース」のメンバー。家守舎、地元のまちづくりNPO、行政職員、建築家、学生、会社員、自営業などが集まり、うち小倉在住・出身者が約半数だった。
■ 素人が仕掛けた公共空間のお祭り

このイベントの最もチャレンジングな点は、外から有名な芸術家を呼んだわけでもなく、イベント業者がいたわけでもなく、大手のスポンサーもなしに芸術祭をやったという点です。限られた予算内で自分たちで考え、やりくりしなくてはなりませんでした。しかしだからこそ、その場にあるものを使って必要な物を新たにつくりだすクリエイティビティが生まれたのです。
のぼりを作成中。文字も手描きで書いていった。
作業場となった元デパートやその近所の空きビルにあったモノ、拾ってきたりもらったモノなどをあつめ、ダンボール、新聞紙、ビニール、木材、生地などを組み合わせ、なるべく新品を買わずに、のぼり、ハチマキ、パラシュートと発射装置、巨大忍者のハリボテ、刀からはんこに至るまで必要なモノを作っていきました。忍者や袴、着物などの衣装も家守舎や関係者のネットワークで各所から借りることができ、大玉や玉入れの玉などは地元の小学校から借りてきました。元学校の先生に文字をお願いしたり、以前ゼネコンに勤めていた人が率先してハリボテを作ったり、作業場の隣の焼き鳥屋さんが着付け役をかって出てくれたりと、こちらも地元の人々のネットワークによって準備が進んでいきました。
忍者の親玉を作成中。口が「パクパク」するように工夫した。
また忍者、侍、町娘などの「役者」を担ったのも受講生とサポートスタッフたちでした。彼らは、行政職員、学生、商店主、サラリーマンなどで、ひとりとして演劇のプロはいません。ほぼ全員が経験ゼロのことで、最初は少し恥ずかしがっていましたが、一度コスチュームを身にまとい、まちに繰り出すと段々と役になりきっていくもの。特にイベントの宣伝のためにちんどん屋風にまちを練り歩いたときにはいつの間にかオリジナルの曲まで出来上っていました。衣装や音楽によって、普段の自分という殻を破り、タガが外れて役にのめりこんでいったのです。
photo: Naoto Kakigami
このように、芸術祭といっても仕掛ける側・作る側の主体となったのが、地元の商店主、行政職員、学生や若者など、あくまで一般市民の人々、いわば「素人」だったことが「風雲!小倉城」の最大の特徴でした。久しぶりに手を動かしてモノを作ることや、いつもとは違う「人格」でまちに繰り出すことで、「あ、自分たちにもこんなことが出来るんだ!」と仕掛ける側・作る側の人々がポジティブに変わっていったのです。
■公共空間で「あそびまわる」ことから始まること

イベント終了後、普段は小倉の商店街で働いている受講生の一人が、「文化祭をやっているみたいで本当に楽しかったです!」と興奮冷めやらぬ様子でおっしゃっていたとおり、まさに「風雲!小倉城」は、仕掛けを考え、作り、演じるということを全部自分たちでやってみる、という「大人が真剣に取り組んだ文化祭」でした。このような経験は「自分のまちは自分で変えられるんだ」という確信を生み、様々なかたちで人々がまちに参加する契機となっていきます。
実際に、このイベントをきっかけとして集まった地元市民の何名かは、その後のリノベーションスクール「公共空間活用コース」にも参加していて、商店主や行政職員からなるまちのイベントを担う市民のネットワークを形成しています。またあるサポートスタッフの方は、イベント後に夢だった移動式カフェの活動を始め、今では小倉を始めとした様々なイベントに参加してこだわりのコーヒーを振舞っています。かれらは『風雲!小倉城』の成功体験をきっかけに、まちに関わることの楽しさに気づき、自ら実践を始めているのです。
「公共空間で存分にあそびまわること」が子どもたちにとって貴重な体験になることはもちろんのこと、仕掛けをつくる大人たちにとっても「まちづくり」や「地元のお祭り」に改めてコミットするきっかけとなる、そんなことを「風雲!小倉城」は示しているのです。
結局このお祭りを一番楽しんだのは、仕掛ける側のメンバーだったのかもしれない。
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