港千尋
Chihiro Minato
レイヤー / 越境 / 地図
写真の世界にレイヤーという言葉が入ってきたのはいつのことだろう。全体をレイヤーに分解して、考えてみる。いま見えているのは、複雑な操作の過程とその出力に過ぎないとすれば、世界の見方も変わってくる。20世紀の初めに世界が複数の層で出来ているという考えが現れたが、それを別の角度から眺めてみたい。越境は水平方向だけでなく、垂直方向にも行われる。それは感覚が描く地図になるだろう。
01 長い橋

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初回はアートブリッジに因んで、橋のことを書いてみよう。どんな橋がいいだろう。思い出に残る橋はいろいろある。海に囲まれ、しかも無数の河川が流れる日本は、そこらじゅう橋だらけである。「橋」がつく地名や苗字の多さにおいて、日本は有数の国に違いにない。
覚えているなかで、いちばん最初に渡った橋はどこだっただろう…と考えていて、神奈川の湘南海岸の風景が浮かんできた。生家から鵠沼海岸が近かったせいで、散歩がてら海辺まで出ることが多かった。あのあたりは今でも海風で曲がった松の木が多いが、それを過ぎて波の音が聞こえると、目の前に江ノ島が現れる。
国道を渡ったはずなのに、なぜか自動車の姿は消えている。よく歩いたのはまだあまり人気のない朝の海。日中になると橋のたもとには、干物や貝を売る屋台が並ぶ。そんな光景がぼんやりと思い出されてくる。
記憶のなかの、その橋はとても長い。子どもの目から見ていたからだろう。欄干から釣り糸を垂らす人が見える。はじめてイスタンブールを訪れ、有名なガラタ橋の上で釣りをする人々の光景を見て、フラッシュバックのように蘇ったことがあった。
わたしたちはひとつの橋を渡るとき、記憶のなかの別の橋を同時に渡っているのかもしれない。一枚の絵を眺めていると、いつかどこかで見た別の絵が瞼に浮かんでくるように。遠く離れた場所をつないでいるのも、似たような心の働きなのだろう。いろいろな場所やイメージが相互に結びつき、身体のなかにある無数の橋を支えているのが、経験と呼ばれるものかもしれない。

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