大谷悠
Yu Ohtani
まちに「あそび」をつくりだす — 都市空間を私たちの手に取り戻すために
禁止事項だらけの公園に、人を排除する公共空間、止まらない大規模な再開発、なんだか最近都市の生活がますます窮屈になっています。事なかれ主義の行政や、利益至上主義の不動産開発業者たちを批判することも必要ですが、都市に生活する私たちが動くことで状況を変えることもできます。それは都市に「あそび」を作り出すこと。この「あそび」には2つの意味があります。一つは活動を通じて、まちの人々が参加できる「楽しい遊び」を仕掛けていくこと。もう一つは都市の中に「空間的なあそび」を作り、人々の交流や活動のベースとなる場所を維持していくこと。この2つの「あそび」を追求することが、都市空間をもういちど我々の手に取り戻していくことにつながるのではないか。そんな仮説をもとに、日本とドイツの5つのケーススタディを紐解いていきます。
04 都市の「あそび」に集まるひとたち——「日本の家」となかまたち

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今回は第一回の連載でご紹介した「ライプツィヒ『日本の家』」に集う人たちをインタビューでまったりと紹介していきます。

■ みやちゃん(アーティスト)
— いつからライプツィヒに?

2015年7月から「日本の家」の上の階に住みながら絵を描いています。「日本の家」で3回展示もしています。

— 今回の展示のテーマは?

「問い」です。なぜ生きているのか、なぜ火は燃えるのか、なぜごはんは美味しいのか、言葉にならないモヤモヤした問いを、絵を通して共有したいと思って。

— そのモヤモヤした問いは日常生活で感じるもの?

そうですね。人生や世界への不安とかもふくめて....

— それはこっち(ドイツ)に来て強く感じるようになった?

いや、もともと日本でもあったけれど、こっちに来てよりはっきり感じるようになりました。

— つまりドイツに来て「答え」が見えて来たのではなくて、「問い」がはっきり分かるようになって来たってことかな?

そうですそうです。
— どうして日本にいる時はそういう問いが見えてこなかったんだろう?

日本にいると忙しすぎて、あ、いや僕が忙しかったわけではないんですけど、忙しい雰囲気が充満しているんですよ。平日道を歩いているだけで「あの子何をやってんのかしら?」みたいな空気感があって。知らず知らずにそういうものの影響を受けて、大事なことを考えなくなっている。

— こっちはゆったりしてる?

こっちだと、まぁ「日本の家」周辺が特殊なのかもしれないけれど、「アーティスト」とか「プラプラしている人」がいっぱいいて、そういう人たちのよく分からないつながりで、まちが面白い方向に向かっているなと感じます。人と人の助け合いとか、つながりとか。そういうのって時間がある人がまちにいるからできるんだなって。行政の取り組みじゃ追いつかないようなことができているなって。

— 暇人は大事だってことだね。

そう暇人は偉大!(笑)

— みやちゃんは絵がかけるから、そういう部分でコミュニケーションしたいって気持ちがあるんでしょう?

そうですね。絵があれば「言葉がなくても伝わるんだ」ってことが、ドイツに来て本当に実感できました。ドイツ自体、言葉が通じない人がいまどんどん入ってくる状態で皆が生活しているから、とくにそういう力が大事だなって。

— ガボの絵がまさにそうだよね。

そうですね。ガボはルーマニアから来た労働者なんだけど、ここでは家がなくて大変な生活をしてる。言葉も通じないんだけど、一生懸命何かを伝えようとしてるところが本当にすごいなと。社会から見るといわゆるホームレスで、底辺の底辺のひどい生活なのかもしれないけど、かれはいつもすごいエネルギーを持っていて、僕も元気をもらえるなーと思って。悲しいことがたくさんあって昔はよく泣いていたって。でも最近は元気で良かったなと。

— 絵を描いてガボに見せたら泣いて喜んでたね。

うれしかったですね。
— それから最近描きためている「日本の家」の漫画もその一環だよね

そうそう。漫画なんて描いたことなかったけど、やってみたら意外と面白かったですね。ネタが尽きない(笑)

— ショーウィンドウに貼ってある漫画、通行人も結構ニヤニヤしながら見ているよね
実在の人が出てくるから、「これお前か?」みたいな感じで盛り上がれますね。そういう反応があると描く方としてもモチベーションになります。
みやちゃんの四コマ漫画「Japan in Leipzig」webで連載中
■ よく来る近所のおじさん(建築現場の労働者)
— 最近よく来ますよね?

この場所(「日本の家」)はマジで最高だぜ!仕事が終わったあとに来るんだ。俺は近くの村で生まれ育って、ライプツィヒには最近引っ越してきたばかりだけど、全然友だちがいなくて。でもここで本当にたくさん良い奴らと知り合えたよ。仕事場では全然友達ができなくて...

— どうして?

上司が「あそこへ行け」って言ったら命令に従って働くだけでさ。でもここに来るとめちゃくちゃリラックスできるよ。生きてるって感じられるのさ。ビールを飲みながら音楽を聞いて、皆と話して。とにかく良いところさ!
■ マサ(建築家)
— マサは何をしている人?

ライプツィヒで建築事務所に務めてます。

— 「日本の家」に関わることになったきっかけは?

グーグルで、「日本 建築 ドイツ」って入れたら、「日本の家」が出てきました。

— 「日本の家」はどんなところだと思ってた?

もっとしっかりしていると思ってました(笑)

— (笑)しっかりしてない?

いや、ゆるい。良い感じでゆるい。だから馴染めた。気を使わないし。大人の部室。

— 毎週来てくれているよね

うん、毎週。ご飯食べに来ています。

— 「日本の家」ってマサにとってはどんな場所?

うーん、ドイツを味わえる場所かな。すごくオープンな人が多い。ガボもその一人だし、ゲオとかアリとか。あとみのるも。

— 何をしている時が一番楽しい?

暖炉のまえに座ってリラックスしてる時かな。
■ レーザー(イランから来た男性)
— いつから「日本の家」に来るようになったの?

つい二ヶ月くらい前からだよ。

— 「日本の家」はレーザーにとってどんな場所?

僕はここで本当に良いなかまたちと出会ったよ。僕は「日本の家」の皆を愛してるよ(笑)

— そうだね、みんなも君を愛してるよ(笑)よく手伝ってくれているよね?

うん、たくさん手伝ったよ。

— ライプツィヒにはいつからいるの?

一年前から。

— その前は何をしていたの?

イランで勉強していた。電気電子の勉強。でもドイツで専門の技師として働くにはアウスビルドゥング(Ausbildung)っていう教育をもう一度受けないといけなくて、それは大変なんだ。特に僕みたいな外国人にはね。

— イランを去らなくてはならなかったのはどうして?

ドイツ語で説明するのは大変だけど、一言で言えば政治的な理由だよ。イランの政府と問題があって、難民としてドイツに来たんだ。

— ドイツでの生活は大変?

最初のうちは本当に大変だった。100%大変だった。でも「日本の家」でヒロやみのる、みやちゃんにあって、すごく楽になったよ。人とのつながりが一番大事なんだ。仕事をするといっぱいお金を貰えるかもしれないけど、お金があったとしても人とつながりがないと人生はすごく大変だ。ほかにも「日本の家」でスペインやインドやスウェーデンの人、今日はイスラエルの人と出会って友達になったよ。こんなふうに人と仲良くなるのはとっても楽しいし、これからの人生に大切なことなんだ。

— ドイツでこれから何がしたい?

自分の店を持ちたいんだ。ドイツで店を開くのは大変だけど、いろいろアイディアはあるよ。
■ ちーちゃん(交換留学生)
— ちーちゃんはドレスデンの大学に留学中だけど、どうして「日本の家」に関わるようになったの?

ドレスデンでも色んな所で「日本の家」の話を聞いて、面白そうだなと思って。

— でも毎週のようにわざわざドレスデンから手伝いに来てくれるよね。どうして?

暇だったのと、単純にすごく楽しいからですね。いろんな人と知り合えるし、自然といろんなことが起こるし。とくに「「ごはんのかい」」は楽しいですね。ごはん食べて、チェスやって、深夜には変な人が入って来て(笑)なかなか日本で普通に暮らしていると出会えない人たちと会えるので。

— もうすぐ日本に帰っちゃうんだよね。

そうなんですよー本当に寂しいです。

— 日本で何するの?

就職活動です。頑張ります。

— 就活かー...「日本の家」に関わる日本人、だれも就活したことない人たちだね(笑)

そうですね(笑)わたしが第一号になりますよ!

— ぜひ頑張ってください。でも本当に、僕は「アーティスト」とかだけじゃなくて、サラリーマンの人とかいわゆる「普通の」人たちも「日本の家」みたいな活動に参加してくれるようになることがすごく大事だと思ってるよ。

そうですよね。いろんな人が居たほうが絶対楽しい。普段仕事しながらでも、週末にはこういう場所にくるとか。絶対需要あると思うんですよね。それぞれの人がいろんな関わり方ができれば良いですよね。
■ ゲオーギ(グルジアからきたミュージシャン)
— ライプツィヒにはいつから住んでるの?

4年前から。2年前くらいに、あるジャムセッションでヒロと出会って、「日本の家」に来るようになったんだ。それからよく「日本の家」でジャズのスタンダードを練習しているよ。

— ゲオにとって「日本の家」はどんなところ?

とても落ち着く、自分の家みたいなところかな。他の場所と違うところは、この空間に入った時にすごく歓迎されていると感じるところだね。すぐに皆と仲良くなれる雰囲気を持っている。僕の人間関係も「日本の家」のおかげで大きくなった。いつでもとってもポジティブなエネルギーを感じるよ。

— 「「ごはんのかい」」をよく手伝ってくれているよね

「「ごはんのかい」」は本当にすごいよ。人の関係がお金の関係じゃないところがすごく特別だと思う。「仕事」として関わっているのではなくて、皆が友達として会を運営している。それが良いんだよね。レストランとは全然違う。
— 「日本の家」でも時々ジャムセッションをやっているよね

そうだね。僕もライプツィヒに来て初めてジャムセッションをやるようになったんだけど、すごく面白い。集まる人がそれぞれ楽器を持って来て、その場で、即興で音楽を奏でていくんだ。楽譜なんかない。その場の空気やノリがそのまま音楽になるんだ。ものすごくエキサイティングだよ。

— ライプツィヒのジャムセッションが特に面白いのは、国籍も文化も様々な人たちが集まって一緒に即興していることだと思うんだけど

その通り。文化もさまざまだし、音楽のスタイルやスキルもさまざま。だから面白いんだ。たとえばヒロはジャズが基本だけど、時々日本的な音が飛び出してくる。アリはイランとかアラブの音楽の影響があるし、パコはスペイン、ラテン、僕はグルジア。僕らはそれぞれぜんぜん違う言語を喋っているけど、音楽という言語は同じなんだ。文字通り僕らは音楽で会話しているんだよ。
■ すーさん(社会学の先生)
— すーさんは何の先生ですか?

日本の大学で社会学を教えています。いまはサバティカル(研究休暇)で「日本の家」に一年間滞在しています。

— なんで「日本の家」に?

ずっとドイツには来たくて、たまたま縁があったのが「日本の家」だったので。良い暮らしをさせてもらっていますよ。

— ここでの生活はどうですか?

想像していたより楽しいねー。ドイツに来たらもっと一人でいる時間が長いと思っていたんだけれど、研究ってだいたい一人でやるものだったし。でもこうして交流したり、人を見ながら研究するのも悪くないなと。

— ここでの経験は自身の研究分野とつながるところがありますか?

あるよね。社会学では相互依存関係とかっていうけど、人間が接し合うことで影響を与え合って何かができていくというところのプロセスを見たりするので、「あー、現場を見ている」って感じがします。

— そういうことって見えづらいものですか?

そう、中に入って行かないと分からないよね。一回見ただけとか、「ごはんのかい」に来るだけじゃ絶対分からないし、ちょっとやそっとのヒアリングだけでも分からない。「カモの水かき」じゃないけど、一見優雅に水面をすいすい進んでいるように見えても、実は水中ですごくもがいている。そのもがいているというか、みんなの頑張りがよく見れるなと。
— ごはんを作ったりペンキ塗ったり、もうすーさんも完全にメンバーの一人ですもんね。

いやいや(笑)でも中で生活して分かることはたくさんあるね。「日本の家」をどうやって作っていこうか、どうやって維持していこうかっていうマジメな話をしているけど、実はそのモチベーションとなっているのが「バンドの練習したい」とか「チェスをやりたい」っていうすごく個人的なことだったりする。家賃値上げに対して、ただ「頑張ろう」だけじゃ頑張れなくて、その場所に関わる人たちの思い、例えば「いつでもチェスができる場所を維持したい!」っていうような(笑)そういう具体性が無いと場所は残らないんですよね。
— 理念だけで場所は維持できないってことですね。

そうそう。ルールとか制度も同じで、それに関わる人たちの話し合いや関わり合いの上で出来て来るものだし、だからこそ意味があるものなんだよね。「日本の家」を、市の空き家再生政策とかそういう観点だけで見るのは全然意味がなくて、その中でどんな人がどんな接触をすることで場所が作られ、維持されているのかっていうところが大事なんですよ。ドイツと日本は全然違うって言われるけれど、確かに制度や舞台装置だけ見れば違うけれど、場所が出来ていく原理は本質的には違わない。「日本の家」を見ているとその普遍性がよく分かります。
■ アミール(アフガニスタンから来た男の子)
— いつからライプツィヒにいるの?

一ヶ月前に来たばかりだよ。

— いま、いくつ?

15歳。

— 15歳!そっか。アフガニスタンからは一人できたのかい?

うん、一人で来た。

— 大変だっただろうね。

そうだね。大変だった。ここまで来るのに一ヶ月半かかったよ。アフガニスタンからイランまで8時間歩きっぱなしだった。それからイランからトルコに抜ける国境では19時間歩いたよ。正式には国境を超えられないから、草むらの中を歩くしか無かったんだ。トルコからはバスや電車が使えたんだけど。

— そうなんだ....怖かった?

うん、いろいろと危険なことがあったよ。特にトルコからギリシャまではボートに乗って来たんだけど、天気が悪くて波が高くて....怖かった。小さなボートに50人も乗っていたし。

— 今後もドイツに住む予定なのかな?

そうしたいんだけど、まだどうなるのか分からないんだ。でもここで勉強したいと思っているよ。

— 英語が上手だね。ドイツ語もきっとすぐ上達するよ。

英語はアフガニスタンで習ったからね。大好きな教科の一つだったよ。

— それで、どうやって「日本の家」を知ったの?

僕らはすぐ近くに住んでいて、友達が「日本の家」で毎週土曜日に「ごはんのかい」があるよって誘ってくれたんだ。

— 一緒に料理してみてどうだった?

すごく楽しくて幸せだったよ!これなら毎週来たい。ここが面白いのは、本当にさまざまな国から来たさまざまな文化を持った人たちが集まっていて、知り合うことができるのがとても楽しい。他ではこんな場所見たこと無いよ。
— よく自分でも料理をはするの?

いいや、全然したことなかったよ。これも新しい経験。

— いまはどんなところに住んでいるの?

アフガニスタンから来る途中、アテネで知り合った人たちと一緒に住んでいるよ。住み心地は良い感じ。

— 毎日何をして過ごしているの?

土曜日は「日本の家」に来るけど、他の日は特にまだやることがないんだ。まだ着いたばかりだから。来週からはドイツ語コースが始まるから、ドイツ語を勉強する予定だよ。

— そうなんだ、「日本の家」でもドイツ語であそぼうっていう会を来月から始める予定だよ。ぜひ参加して、というか良かったら運営を手伝ってほしいな。

そうなんだ、うん、もちろん!喜んで。
■ みのる(旅人)
— なぜライプツィヒに?

2015年の2月にワーキングホリデーで来たんですけど、ドイツ人の友達に「ドイツで一番変な街はどこだ?」って聞いたらライプツィヒだよって言われて、それで来てみたら本当に変な人が多くて(笑)それで居着いてます。

— 「日本の家」はどうやって見つけたの?

最初タンデムパートナーを探していて、インターネットで「ライプツィヒ・日本」で調べたら出てきて、来てみたら悠さんとヒロさんと出会って、「何もすることがないならぜひ手伝ってよ!」って言われて。それからずっと関わってます。

— もはやみのる無しでは「日本の家」は立ち行かないよね。

いやぁ本当にお世話になっているので。恩返ししたいです。

— いやいや(笑)しかしみのるは本当に世界中を旅行しているんだよね。

そうですね。学生時代からアジア、ヨーロッパ、中南米を周って、大学卒業してから一年間オーストラリアでワーキングホリデーをして。それからカナダにワーキングホリデーをして、それからドイツに来ました。

— なんで旅が好きなの?

面白い人に会いたいっていうのが一番の理由です。基本的に同じ場所にずっといることは無かったんだけど、「日本の家」に来て、ここにいると移動しなくてもいろんな人と出会えるから、それで楽しくてずっとここに居ます。
— みのるのすごいところは、初対面の人とでもスッと自然に仲良くなれるとこだよね。やっぱり旅人の経験?

最初は人見知りだったんです。でも人には興味があって、一人で旅行することでだんだん話すことに慣れていきました。でもここでヒロさんと出会って、あのコミュニケーション能力は本当にすごいなと。「日本の家」に一人で来る人も多いですけど、ヒロさんは絶対そういう人にも話しかけて仲良くなって。だから一人でもフラッと来れるようになる人も多いんですよね。そういうのは素晴らしいと思います。

— そうだね、僕も「日本の家」ってみのるやヒロみたいな人がいるから、そのおかげでこれだけいろんな人が来るようになったんだと思うよ。「ごはんのかい」も毎回違う人が来るしね。

「ごはんのかい」は特に自然と話す機会が多いですよね。一緒に料理したり、一緒に食べたり。人と人の距離が近くて。すごく理想的だと思います。僕ずっとこういう場所を作りたいなと思っていたんです。喫茶店かホステルが良いかなと思っていたんですけど、でもこういう寄付で成り立つ場所の作り方もあるんだなって。お金を持っていなくても誰でも来られるじゃないですか。別に寄付をしてるかチェックをするわけでもないので。誰でも来られて面白い人に会えて、お金もあんまりいらない場所ってこういう作り方があるんだなって。日本でもぜひこういう場所を作りたいです。
— いろんな人が集まるようになったよね。アラブ系の人も最近よく来るようになったし。難民の子たちとかも。

そうですね、一回来てくれると次は友達を連れて来てくれて、だんだん輪が広がっていますね。難民のこととか、ニュースではなんとなく知っていたことも、実際に体験している人から話を聞くのとでは全然違いますね。十代の男の子たちで、話したり遊んだりしている分には本当に普通の中学生くらいの子どもたちなんだけど、ふと話に出てくるエピソードがすごく重くて。同じ時代にこんな人たちがいるんだなって。どうやってドイツまで来たのかとか、山の中で寝た話とか。殆どの子たちが家族と別れて一人で来ていて、自分の十代の頃と比べてもやっぱ大人に見えますね。

— 「日本の家」はどんなことができるかな

前に悠さんが言ってたように、ドイツの人たちは難民の子たちとどう付き合っていいか分からないし、難民の子たちもどうやってドイツ社会とつながっていけばいいのか分からないって時に、「日本」ってある意味完全な第三者なので、二つをつなぐ良い接着剤になれるんじゃないかって思いますね。「日本の家」は実際そうなっていますし。例えば料理をしている時、国を意識することって少ないから、先入観に捉われずに付き合えるようになってますよ。

— 一緒に作業するって大事だよね
はい。一緒に料理して一緒に食べて一緒に皿洗う、共同作業が自発的に起こる感じって、すごく自然だし、理想的な友達の作り方だと思います。ちょっとしたコミュニケーションが自然に起こるっていうか。
— たまり場の作り方が大事ってことだね

そうですね。学生時代は部室とか研究室とか、単に人が集まって話せる場所があったんですけど、大人になるとそういう場所がなくなっていきますよね。喫茶店とかはあるけど、お客さんと店員っていうお金の関係になっちゃうし。ここはビジネス臭さもないし、空間的にも窓が大きくてオープンなんで、フラッと立ち寄って話ができる。そういう場所ってなかなか無いですよね。

— ライプツィヒって家賃も安いし、こういう場所が他にもあるよね

すごく豊かなことだと思います。

— お金を介さない人間関係って、本当は当たり前のことなのにね。

この前、悠さんが言ってましたけど、生きていく上で必要なモノってなんだろうって考えた時に、食べ物と住む場所と友達なんじゃないかって。僕はよく「日本の家」に泊まらせてもらっていて、食べ物もあるし、友達も来るし、あ、ここに来れば全部あるじゃないか!って(笑)

— (笑)そう、実はこのプロジェクトって僕ら自身のためにやってる部分が凄く大きいよね。実は。「社会のため」はもちろん最終的にそうなったらいいんだけど、まず僕らのためじゃん。

本当にそうですね。みんな別に強制されて来るわけでもなくて、来たくて来てるわけじゃないですか。その差は大きいと思います。僕、いま仕事もしてないし学校も行ってないんですけど....

— ....ニートだね(笑)

そうです(笑)外国でニートやってるという(笑)でも本当にこういう場所を日本でも作りたいので、すごく良い経験をさせてもらってます。特に皆でアイディアを出し合って、こうしたらもっと人が来るんじゃないかとか、こうすればもっと良くなるとか。手作りのプロジェクトに参加出来てる感じがあって。それがすごく楽しいです。

(聞き手:大谷 悠)

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