江上賢一郎
Kenichiro Egami
草の根 / コレクティブ / アート・アクティヴィズム
アジア各地で異種混交的な文化シーンが生まれている。それはアート⇆コミュニティ⇆アクティヴィズムのカテゴリーを越えて、互いに影響を及ぼしあうことで「新しい生き方」や「社会のあり方」の可能性をより広く提示し、実践しようとする動きのことだ。このまだ名前を持たない「動き(ムーブメント)」は、それぞれの場所に根付きつつも国境を越えた往来や交流を通じて、アジア圏(そしてそれを越えた)にまたがる草の根的恊働・相互扶助のネットワークを作り出している。「オルタナティブ・アジア」では、そのようなネットワークを通じて出会った人や場所を取り上げ、この汎アジア的な文化/運動/芸術の交流圏の現在進行系の姿を伝えていきたい。
01 Alternative Asia 香港編(前編)

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アジアにおける資本主義(Capitalism)の中心地(Capital)、香港。大規模再開発、立ち退き、家賃高騰による住宅不足、過密で狭い住宅、一般的にジェントリフィケーションと呼ばれる資本による都市空間の排除と再私有化のプロセスは、この小さな島の中で過剰なまでに増幅されそこに住む人々の生活を全包囲している。この状況の中で、アート、音楽、社会運動、農業それぞれの領域でジェントリフィケーションに対抗する文化-運動体が形成されつつある。 高層ビル群の中には、再開発と闘う姿勢をそのまま空間化したようなライブハウス、アートセンター、本屋兼コミュニティセンターなどの極小のスペースが存在する一方、自然農業の農園やベジタリアンレストランを運営するコレクティブが香港郊外の農村部に根付いている。彼ら、彼女らは、都市の再開発に対し、小さいながらも共闘可能な文化的抵抗の諸実践のネットワークを形成し、香港という巨大な資本機械の中でオルタナティブな空間をめぐる陣地戦を繰り広げている。今回はその中の一つ、九龍半島にある小さなアートスペースによるコミュニティアートの実践を取り上げてみたい。
油麻地(Yau Ma Tei)は昔の香港映画のワンシーンそのままの姿が残っているような下町だ。ビルの壁から突き出た無数のネオン看板が輝き、路上の屋台では野菜や肉を売るかけ声が響き、入れ墨をした裸の男たちが果物の段ボールを台車に載せつつせわしなく行き交っている。アートスペース、「活化廳(Woofer Ten)」はこの地区の古いビルの1階にある。ガラスドアには壁新聞、告知文やらがぺたぺた貼られ、中に入ると本棚には古本が積まれ、テーブルの上には食器やおもちゃが並べられてまるで古道具屋みたいだ。地元のおばあちゃんやおじいちゃんたちがお茶を飲みつつ新聞を読んだり、子供が床で絵を描いたり、まるで路上の雑多な光景がそのまま室内に入り込んで来たかのような空間だ。運営メンバーでアーティストでもある、李俊峰(Lee Chung Fong)は「いやー、最近はもう近所の人たちにオキュパイされちゃってねぇ」とのんびりとした口調で話す。彼とその仲間たちはこの場所を拠点に2009年から「アートはどのように地域コミュニティの活性化に寄与できるか」というテーマで活動している。
そうはいっても、よくある一過性の「アートで町おこし」とは少し毛色が違う。実は、油麻地は香港でも低所得者層、移民の割合が多く、犯罪率も高い。今現在、香港政府はこのエリアの大規模な再開発プロジェクトを計画しつつあり、往年の街並や市場が少しずつ消滅している。そのような再開発によって消されていく街の姿を前に、活化廳はコミュニティの側に立つという政治的スタンスを明確にした上で、自分たちのアート活動とコミュニティの接点を探ろうと試みてきた。香港の伝統的な看板職人による仕事の展覧会を企画すると同時に、天安門事件の記念日に当時の民主化運動の学生の服装をして自転車で香港を巡るという政治とアートをつなぐアクションも行っている。天安門事件をテーマにした絵画展や、アーティストたちの労働組合の結成。アクティビストのレジデンスプログラム。去年の香港雨傘革命の時には、路上に小屋を立て即席の集会所を作ったり、自分の理想の家を道路に作るコンペを開いたり、運動の現場に立ってアートプロジェクトを展開した。
活化廳の活動の特色は、芸術を軸に据えつつも、芸術と社会の対話を促すための共通の土台(プラットフォーム)を地域の中に作り出すというスタンスにある 。「活化廳は、この街で仕事や生活を営む人たちとアーティストが一緒にコミュニティを作っていくための色の無い容器みたいなものだから、オブジェよりもこの場所で生まれてくる関係そのものが作品だと思うよ」と李俊峰は話す。それは、普段は近隣のちょっとした問題や相談事も引き受ける町の公民館であり、同時に、香港が抱えるさまざまな問題を議論するローカルな政治フォーラムでもある。 そして日々の人々のつながりや出会い、対話、この地域に残る文化や価値観を、さまざまなメディア(プロジェクト、展覧会、壁新聞など々)を通して表現、伝達していく。
油麻地にある仕事(鍛冶屋、生地問屋、木工所、青果市場など々)にフォーカスしたトロフィーを作り、そこで働く人たちに手渡して行くプロジェクト「多多獎.小小賞(Few few prize, Many many praise)」 は、普段注目されることの少ないさまざまな都市の労働の価値を再発見する試みであるが、ここではトロフィーというオブジェが人々の労働そのものへと意識を促すメディアとして機能し、結果的に見る側の意識が日々の生活を支えている町の人たちに向けられるよう意図されている。 けれども常に政治的、社会的な問題をコミュニティアートの手法で取り上げる活化廳の手法は、コマーシャルギャラリーが主導する香港のアートシーンの中では好意的に受け取られていない。2年前には香港の文化行政の助成金が打ち切られ立ち退きを要求された結果、現在はスペースを文字通り無許可で「占拠(オキュパイ)」している。公的支援の無い現状や外部からの圧力の中、運営メンバーの中での分裂も生じ、今後いつまで継続できるかは見通しが立っていない。それでも、油麻地のエリア内には新しいオルタナティブスペースが少しずつ生まれてきている。2012年の香港での「オキュパイ運動」を展開したアクティビストたちの集会所兼社交場である「徳昌里(Tak Cheong Lane)」や、 路上を占拠し日替わり店主たちのコレクティブが運営するベジタリアンレストラン「So-boring」、ゲストハウス兼コミュニティセンター「Pitt street18」などの新しいスペースも生まれ、半径200メートルの街区内に、極小空間のネットワークとコミュニティが形成されつつある。それは活化廳が、社会的•政治的問題を排除せず、それらに積極的にコミットしつつ地域の中でアートの果たすべき役割を考えてきた土壌があったからだ。
芸術が社会や政治的意識と切り離された場所には、確かに「美しい」アートワールドが存在する。香港はそのようなアートワールドのアジアの中心地でもある。しかし現実の香港での暮らしと生存は不安定で、過剰な競争主義にさらされており、さらには生存の基盤である住居空間そのものが資本の論理によって投機の対象とされている。その意味で、香港のアート/アクティビズムは、 この都市の新自由主義的な開発(ジェントリフィケーション)の現場そのものを、 自らの闘争/表現のフィールドに据えている。彼ら/彼女らは都市生活におけるさまざまな矛盾や問題を捨象せず、資本のロジックによって廃棄されつつある空間、暮らしの側に留まりつつ、集団的創造性と直接行動を通じてもう一つの可能な都市の街路/回路を作りだそうと試みているのだ。
もし芸術という行為が、個人の神秘的な創造性だけでなく、人間のさまざまな価値や社会的関係の創造的な生産も含むとすれば 、人々が美的・感性的情動の熱量を、資本の価値とは異なる価値や社会変革へと費やすことは何ら不思議ではない。自らの想像力と技術を駆使して、資本のロジックから解放された空間を作ったり、自分たちが望む社会的諸関係の生産 /再生産に投入すること。そのようにして生みだされた空間と関係性を直接的に経験することで、人々の行為と思考は変化し、生活のあり方やコミュニティを育み、維持していく力へとつながってゆく。僕が香港で出会ったのは、このように「社会/芸術」の関係のあり方を「生活」の中で作り出すための小さな社会実験の場だったのだ。
(続く)
追記

活化廳のディレクター、李俊峰は、昨年末、過去3年間の芸術と社会運動の領域横断プロジェクト「Art Activist in Residence」を一冊の本に纏めた「AAiR 2011-12」を出版した。この本では、海外のアーティストとアクティビストが滞在し、それぞれの国や地域の問題とを香港の問題と照らし合わせつつ制作された作品やプロジェクトを紹介するもので、日本からはアーティストのいちむらみさこ氏のプロジェクトや、素人の乱の松本哉氏が参加した「アジア有象無象会議2011-12」が収録されている。

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