仲宗根香織
Kaori Nakasone
場所と時間を超えて繋がる、見える沖縄
違う土地に行って新鮮に感じたり、新しく見る風景に感動したりする時、人はそれぞれにとって参照軸となる土地や風景の記憶との比較によってそう感じているのだと思います。また、軸であるはずのその土地で起こる風景の変化も、以前の風景と照らし合わせるなかで変化を感じているのではないかとも思います。私の中で軸にある土地は沖縄しかないのですが、沖縄とどこかの土地を繋ぎながら、過去の沖縄と現在の沖縄とを繋ぐ、というように、異なる土地や異なる時間を超えて、どのように「沖縄」とその「外」が、そして「沖縄」の中にあるはずの様々な時間が、どう繋がりながら変化しているのかを写真とともに考えていけたらと思います。
04 宇宙につながる歴史、光、写真

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小学校時代に授業で学んだ星座に興味を持ち、近所に住んでいたおじさんの友達と一緒によく星空観察をしたことを覚えている。アパートのベランダに座り、空を見上げ、無数のきらめきに満ちた星のなかから北斗七星とカシオペア座を見つけると、自分と宇宙との交流ができたような静かな喜びを感じていた。
宇宙は理解をはるかに超える数値、いわゆる天文学的数字で地球から惑星までの距離や時間を表しており、私にとっては想像上でしか測れない不思議に溢れている。例えば、月の年齢は約46億年、地球からの距離は384,400 km。
今見ている星の光は、何年、何百年、何万光年前の大昔に放たれた光。
年を重ねるにつれて星空をゆっくりと観察する時間は取らなくなったが、偶然空を見上げて、星と星のつながりを見つけたときは忘れていた喜びが込み上げてくる。しかし、宇宙との交流は星や惑星だけが媒介するものではないことを、2015年10月末に発行された根間智子さんの写真集『Paradigm』 (小舟舎、2015年)は物語っている。
根間智子『Paradigm』より
暗闇に浮かぶ月が奇妙に変形する軌跡、光が上へ横へ移動し変態するさま、水が音に響いて震えているかのような波紋。そうかと思えば、どこから来たか分からない野鳥が風とともに通り過ぎる画。
すべては根間さんが暮らしている沖縄県東部のある島と別の場所へ行き来する車窓から撮影された写真とのことだが、生活の中で「見ること」を再確認することで、風景の匿名性を発見しているかのようだ。今見ている風景を何かの属性や特徴を孕んで捉えるのではなく、まず「見ること」そのものを疑い、それに付随するものを拒否し、批判的に写真に収める。どこでもなく誰のものでもない風景を根間さんのファインダーを通すと、時空を超えて宇宙や過去とつながり、広がりを持って新しい世界として眼前に現れる。
根間さんは作品について、トークイベントを記録した「雑誌『ラスバルカス』−「世界」と「沖縄」を横断するアートと批評」(『las barcas別冊』収録、小舟舎、2014年)の発言でこのように語っている。

 この作品を制作する出発点は、車から風景を見ているときに手前の風景はもの凄いスピードで通り過ぎる感覚があるのとは対照的に、遠い風景はゆったりと、まるで動いていないかのように時空が違ったように感じたことがきっかけだったように思います。/ 風景はそこに存在し、「私」だけが時速60キロで動いている。右側の目線にある雑草はすごいスピードでなびくため、海のようなさざ波にみえてくる。その上部に見える小さな鉄塔はある一点を越えなければ、ほとんど動かずにそこにある。/ 普段見えている風景が、何か奇妙な時空とともに出現したように思えたのです。/ 意識することが見ることと深く結びついているのは確かだろうが、私たちは意識的であれ、無意識であれ、生まれてからずっと風景と対峙してきたはずだ。/ 風景が言葉として置き換えられ、認識したと思った瞬間に風景が手からすり抜けていく。
 
 時速60キロで動いている風景の向こう側と手前側の時差、雑草と海を見ることにより動きのコントラストで起こるめまいがするような空間の歪み。風景と視覚上の奇妙な狂気が表れる根間さんの写真は、私たちが見ているモノの存在がいかに曖昧であり、変態可能であることを大胆に見せてくれるような気がする。
新年明けてすぐにパトリシオ・グスマン監督・脚本の映画『光のノスタルジア』と『真珠のボタン』を見た。壮大な宇宙と美しいチリの風景の映像から描かれる、ピノチェト独裁政権下で起きた壮絶な歴史、そして今も続く人々の苦しみを追った両作品にとても感銘を受けた。本映画の舞台であるアタカマ砂漠は、標高の高さと極度に乾燥した気候により、天体観測に適した環境と言われており、世界中の天文学者が集まり、巨大な電波望遠鏡で天体観測を行っている。そして同時に、ピノチェト政権下で政治囚として犠牲となった人々の遺体が埋められた場所でもある。
宇宙の時間と土地の記憶をひもときながら、言葉と映像で詩的につなげていき、過酷な歴史を真正面から捉えている。宇宙は単に天文学的な数字とともに想像の世界にあるのではなく、地球の歴史と人間の時間とともに存在している。
グスマン監督と根間さんの作品から深く感動するのは、自分と宇宙とが交流をしているような幼い頃の感覚が込み上げてくるからなのかもしれない。それだけではなく、時間をかけて届く光、さまざまな歴史と人々の声の重層などが風景として過酷に現れてくることも両氏の作品は示唆してくれる。
宇宙に目を向けて電波に耳を傾けている電波望遠鏡のように、カメラのファインダーを覗き、光を吸収し、時間を焼き付ける。写真は天文学的な数値を超えた世界を捉えることができるのかもしれない。例えば、今見ている光は大昔の過去から一直線に届いた光の粒子であるが、その間に人類の進化があり、科学技術の発展があり、憎悪みなぎる戦争が起こり続け、曲折した歴史が繰り返されている。
宇宙の時間の中にある人間の時間には、宇宙の力とは異なる暴力や感情や欲みたいなものがまとわりつき、そこには人間の不完全で曖昧な状態があるような気がする。しかし、同時に『Paradigm』に溢れる不完全な形は、変態していくという希望へとつながっていくものではないか、とも思う。
「写真を撮る」という行為を宇宙や時間の流れの中から考えてみると、それは希望への予感と、変わり続けることの許容を確認する作業なのかな、と思う。グスマン監督、根間さんから喚起された年明けだった。
根間智子プロフィール
1974年沖縄生まれ。現代美術家。沖縄県立芸術大学非常勤講師(絵画/陶芸〔硝子〕)。写真、 絵画、硝子、映像作品を発表。主な展覧会に2008年現代美術の展望「VOCA展」(上野の森美術館)、「流漂」写真展(gallery atos/沖縄)。2012年「ART IS MY LIFE」(沖縄県立博物館・美術館)など。

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