原亜由美
Ayumi Hara
土地 / 記憶 / 移民
わたしの故郷である新潟県新発田市の「写真の町シバタ」は、まちの記憶を紐解いて土地に結び直す写真プロジェクトだ。ひさしぶりに戻った故郷で、偶然かかわるようになった小さなプロジェクトから見えてきたのは、干拓地の風土を背景とし、明治期に連隊駐屯地として写真文化を育み、海外移民を多く送り出した進取の土地であるという、わたしの知らなかったイメージだった。まちに眠っている写真のエピソードは、海を越え、時間を越えて、離れた土地の記憶へと連なる。プロジェクトを通じて出会った記憶の指し示す土地へと旅をし、その所感を書き留めていく。
03 照らされること
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「みやぎ民話の会」の小野和子さん※1のことを、清水チナツさんの8月のブリッジトークで知った。小野和子さんは、お話を求めて集落を訪ね歩く採訪活動を40年ほど続けておられる。語り手からお話を自然と引き出す達人と知り、わたしは興味をもった。なぜならわたしたち「写真の町シバタ」の活動の『まちの記憶』は、連載第一回に書いたように、“お店まわり”と称して写真とお話を求めて訪ね歩いているからだ。小野さんの活動の足元にも及ばないが、わたしたちのしていることが採訪の一種のように思われて、憧れと共感をもった。
自分の仕切りのせいなのだが、今年は“お店まわり”の開始が遅く、地方では珍しい自由業者で時間の融通の利くわたしは、自分のまわる箇所を例年以上に抱え込んで、朝起きてはすぐに、せっせと“お店まわり”をして歩いた。それには締切への意識や主催としての責任感もありつつ、頭の片隅に小野さんの行動力があって、とにかく「わたしも手足を動かすしかない」という思いでいた。
『写真の町シバタ2015』、メイン企画の商店地区にゆかりの写真を展示してもらう『まちの記憶』には、今年95箇所の参加があった。昨年度の115箇所からは減ったものの、参加が増えたり減ったりするのは自然なことで、『まちの記憶』が生きている証しに思える。たまには参加を休む回があってもいい。例えば、今年は“お店まわり”でこんな逸話があった。とある店では、数年前に自宅が火事にあって写真がすべて焼けてしまった。昨年までは親戚宅に残る自分の子供時代の写真を借りて出品していたが、「もう写真がないから今年は参加しない」と店主が言う。わたしはそれでいいと思って、今年初めて試みる『合唱の町シバタ』という姉妹イベントのチラシを置いて店を出た。『合唱の町シバタ』は、写真と同じく新発田で盛んな合唱文化を再認識しようと、一日だけの合唱団を結成する企画である。集合写真や合唱には心を合わせるという共通項があると思い、チラシの表紙には昭和30年代の市内のピアノ教室の弾初め会の集合写真を選んだ。
自分の仕切りのせいなのだが、今年は“お店まわり”の開始が遅く、地方では珍しい自由業者で時間の融通の利くわたしは、自分のまわる箇所を例年以上に抱え込んで、朝起きてはすぐに、せっせと“お店まわり”をして歩いた。それには締切への意識や主催としての責任感もありつつ、頭の片隅に小野さんの行動力があって、とにかく「わたしも手足を動かすしかない」という思いでいた。
『写真の町シバタ2015』、メイン企画の商店地区にゆかりの写真を展示してもらう『まちの記憶』には、今年95箇所の参加があった。昨年度の115箇所からは減ったものの、参加が増えたり減ったりするのは自然なことで、『まちの記憶』が生きている証しに思える。たまには参加を休む回があってもいい。例えば、今年は“お店まわり”でこんな逸話があった。とある店では、数年前に自宅が火事にあって写真がすべて焼けてしまった。昨年までは親戚宅に残る自分の子供時代の写真を借りて出品していたが、「もう写真がないから今年は参加しない」と店主が言う。わたしはそれでいいと思って、今年初めて試みる『合唱の町シバタ』という姉妹イベントのチラシを置いて店を出た。『合唱の町シバタ』は、写真と同じく新発田で盛んな合唱文化を再認識しようと、一日だけの合唱団を結成する企画である。集合写真や合唱には心を合わせるという共通項があると思い、チラシの表紙には昭和30年代の市内のピアノ教室の弾初め会の集合写真を選んだ。
先ほど断られた店を出て、わたしは考えごとをしながら、ゆっくりとアーケード下の舗道を歩いていた。すると見知らぬ番号からの着信で、携帯電話が鳴った。電話をかけてきたのは、先ほどの店の店主であった。開口一番「わたしが写っている」と言う。「さっきもらった合唱のチラシ、あの写真にね、わたしが写っている!懐かしい。びっくりした。もう自分のところにはない写真だから」。
店主の弾んだ声に、わたしもうれしくなった。実は店を出てから気になっていたのだ。親戚に写真を借りる度、あるいは借りた写真を店先に飾る度、あの店主は火事の記憶を思い出し、やるせない気持ちになっていたのではないか、と。なので、店主の報告は本当にうれしかった。一方で、わたしの足をふと重くした、写真が引き出す喪失の記憶もまた真実であり、そうした面も心に留めておかなくては、と思った。“お店まわり”で「写真がない」と言われるとき、きっと本当に「ない」のは写真という物体ではなく、語るべきことだったり、それを語る気分そのものだったりする。
ブリッジトークには、わたしも7月に清水さんの前の回に呼んでいただいて、「写真の町シバタ」の活動について話している。わたしと清水さんと、谷山恭子さんのブリッジトークは、現在配布中の『ART BRIDGE issue#02 Autumn』 に揃って採録されている。谷山恭子さんのLat/Long Projectも一種の採訪活動だ。10月に谷山さんの個展『One’s Ubiety ある人の所在 vol.3』 ※2を観に、表参道のUTRECHT / NOW IDeAを訪れた。
店主の弾んだ声に、わたしもうれしくなった。実は店を出てから気になっていたのだ。親戚に写真を借りる度、あるいは借りた写真を店先に飾る度、あの店主は火事の記憶を思い出し、やるせない気持ちになっていたのではないか、と。なので、店主の報告は本当にうれしかった。一方で、わたしの足をふと重くした、写真が引き出す喪失の記憶もまた真実であり、そうした面も心に留めておかなくては、と思った。“お店まわり”で「写真がない」と言われるとき、きっと本当に「ない」のは写真という物体ではなく、語るべきことだったり、それを語る気分そのものだったりする。
ブリッジトークには、わたしも7月に清水さんの前の回に呼んでいただいて、「写真の町シバタ」の活動について話している。わたしと清水さんと、谷山恭子さんのブリッジトークは、現在配布中の『ART BRIDGE issue#02 Autumn』 に揃って採録されている。谷山恭子さんのLat/Long Projectも一種の採訪活動だ。10月に谷山さんの個展『One’s Ubiety ある人の所在 vol.3』 ※2を観に、表参道のUTRECHT / NOW IDeAを訪れた。
「その人の“大切な場所”の緯度経度の座標・空中写真・文章の構成で「ある人の所在」を作品化する」というコンセプトもさることながら、なかでもわたしは「文章」の良さに引き込まれた。文章とは「ある人」の語り起こしであるのだが、そこにはいたはずの谷山さんという聴き手の存在感が皆無で、自分が直接「ある人」に語りかけられているような心地になる。わたしも『まちの記憶』の写真にコメントをつける作業をしているので、こんなふうに語りを文章化するのが容易でないと知っている。そのときに、ふと、わたしも『まちの記憶』のコメントを、出品者になり代わったつもりの一人称文体で書いていたことに気がついた。決めたわけではなかったが、結果そういうふうになっていた。
『ART BRIDGE issue#02 Autumn』は「わたしたちの知」と題されている。一人称の記憶の集合体として社会を知ること。収録されているブリッジトークの3者のテーマ、市井の写真、民話の語り、所在についての作品。文字化されていなかった一人称の記憶が鍵となっている気がする。
『写真の町シバタ 2015』では、『ドイツ写真家の見た新潟 European Eyes on Japan / Japan Today vol.11』※3と題し、2009年に新潟で滞在制作されたハンス=クリスティアン・シンクの作品展も行なわれた。外国人による写真で故郷を見るというのは、非言語コミュニケーションの体験である。作品を酒蔵の2階のギャラリーに設置してみると、まるで夢で見た村に迷い込んだような気持ちになった。既視感を覆う未知の感性と、脳で直接対話をしているような不思議な感覚であった。ハンス自身も来日し、一人称で作品の背景が語られると、今度はまた別の角度で作品が見えてくる。写真表現もまた、撮影者の一人称の記憶の再現と言えるだろう。ハンスは旧東ドイツの出身で、人為と自然の成す光景をテーマに真摯な取組みをしており、東日本大震災の被災地を記録した『Tohoku』という作品集もある。
わたしは主に、滞在中のハンスを車で送迎する役割で、移動中お互いの第二外国語にあたる英語で話していた。ハンスは英語も堪能だが、わたしはそうではないので、会話なのに筆談をしているような感覚がした。独特の間合いの会話のなかで語られるハンスの表現の姿勢は、興味深かった。ハンスにプロジェクトのテーマをどうやって決めるのか尋ねると、結果そうなった、と言う。やるべきことが向こうからやって来る、と。彼は自分の半生に関しても同じようなスタンスで捉えていた。例えば、子供時代に東西融合の時代が来ると想像したか、と訊くと、未来はなるようになる、という答えだった。それは楽観主義とは別の響きを持っていた。わたしは彼の言葉を、現在という時間には過去も未来も含まれている、というような感覚で聞いていた。そうした感覚が、彼の制作の姿勢を支えているのだろうとも思う。
『ART BRIDGE issue#02 Autumn』は「わたしたちの知」と題されている。一人称の記憶の集合体として社会を知ること。収録されているブリッジトークの3者のテーマ、市井の写真、民話の語り、所在についての作品。文字化されていなかった一人称の記憶が鍵となっている気がする。
『写真の町シバタ 2015』では、『ドイツ写真家の見た新潟 European Eyes on Japan / Japan Today vol.11』※3と題し、2009年に新潟で滞在制作されたハンス=クリスティアン・シンクの作品展も行なわれた。外国人による写真で故郷を見るというのは、非言語コミュニケーションの体験である。作品を酒蔵の2階のギャラリーに設置してみると、まるで夢で見た村に迷い込んだような気持ちになった。既視感を覆う未知の感性と、脳で直接対話をしているような不思議な感覚であった。ハンス自身も来日し、一人称で作品の背景が語られると、今度はまた別の角度で作品が見えてくる。写真表現もまた、撮影者の一人称の記憶の再現と言えるだろう。ハンスは旧東ドイツの出身で、人為と自然の成す光景をテーマに真摯な取組みをしており、東日本大震災の被災地を記録した『Tohoku』という作品集もある。
わたしは主に、滞在中のハンスを車で送迎する役割で、移動中お互いの第二外国語にあたる英語で話していた。ハンスは英語も堪能だが、わたしはそうではないので、会話なのに筆談をしているような感覚がした。独特の間合いの会話のなかで語られるハンスの表現の姿勢は、興味深かった。ハンスにプロジェクトのテーマをどうやって決めるのか尋ねると、結果そうなった、と言う。やるべきことが向こうからやって来る、と。彼は自分の半生に関しても同じようなスタンスで捉えていた。例えば、子供時代に東西融合の時代が来ると想像したか、と訊くと、未来はなるようになる、という答えだった。それは楽観主義とは別の響きを持っていた。わたしは彼の言葉を、現在という時間には過去も未来も含まれている、というような感覚で聞いていた。そうした感覚が、彼の制作の姿勢を支えているのだろうとも思う。
わたしが会期の準備に奔走しているとき、わたしの頭の片隅には小野和子さんのことと、もうひとつ「回向」という言葉があった。東京のP3 Project Spaceと東長寺で7月から10月にかけて行なわれていた『回向 ―― つながる縁起』展 ※4で、わたしは「回向」について初めて詳しく知った。回向とは「自ら修めた功徳を他者の利益のために巡らせるという大乗仏教の考え方」とある。自然光を光ファイバーで集めて佛陀のかたちに発光させるインゴ・ギュンターの作品《Seeing Beyond the Buddha》※5を見ながら、思うところがあった。教えに照らされて自らにうつった光を、他者にもうつしていく、そういうイメージが具現されていた。いつも移動で走り回っているわたしは、このときも閉館間際の時間に会場に駆け込んで短い滞在だったが「大きなヒントを得てしまった」と思い、“お店まわり”を自分のなかで勝手に「回向活動」と名付けて功徳を積む気になった。自分は人の教えに照らされて、仄明るさをまとったよき媒介者であろう、と思った。
ほんの少し功徳を積んだご褒美か、10月には上野・芸工展の参加企画の一つ『谷根千<記憶の蔵>東北記録映画三部作 上映会』の際、小野和子さんの講演を聴く機会にも恵まれた。小野さんは、仄明るいどころではない、かと言って直線的な光ではなく、なんとも柔らかい新鮮な光に包まれたような方で、その佇まいが特に印象的であった。
ブリッジトークの3者のテーマについて「文字化されていなかった一人称の記憶」と書いた。文字化されていないということは、人でも場所でも直接行かねば出会えないということである。とても単純で自明なことだが、その大切さに改めて気づかされてしまった。
忙しいと、好きでやっているはずなのにやらされているような気がしてきて、自分でも何をやっているのかよくわからなくなることが正直ある。特に非営利のアート・プロジェクトだとなおさらだ。わたしは、誰かの記憶を「わたしたちの知」として循環させる「回向活動」をしている、と思えたことで、自分自身がやっていることに穏やかな能動性を取り戻せた。わたしはアートど真ん中の人間ではないけれど、アートに照らされているなあ、と思えるこの頃である。
※1 小野和子 1934年岐阜県高山市生まれ。1958年より宮城県仙台市に在住。1970年より宮城県内の民間説話の採訪を手がける。1975年、仲間と共に「みやぎ民話の会」を結成、現在は顧問。著書に『宮城県の民話』(責任編集、偕成社)他。
※2 谷山恭子展覧会『One’s Ubiety ある人の所在 vol.3』 2015年9月23日〜10月4日 UTRECHT/NOW IDeA
※3 『ドイツ写真家の見た新潟 European Eyes on Japan / Japan Today vol.11』ハンス=クリスティアン・シンク写真展 2015年10月23日〜11月8日 金升酒造 二號蔵ギャラリー 主催:写真の町シバタ・プロジェクト実行委員会 ゲスト・キュレーター:菊田樹子 助成:EU・ジャパンフェスト日本委員会 協力:写真文化首都 北海道「写真の町」東川町 後援:ドイツ連邦共和国大使館・新発田市
※4 曹洞宗 萬亀山 東長寺 「結の会」発足並びに「文由閣」建立記念『回向 ―― つながる縁起』展 2015年7月11日~10月12日 P3 Project Space・東長寺 主催:東長寺 企画制作:P3 art and environment
※5 インゴ・ギュンター《Seeing Beyond the Buddha》は2015年12月より文由閣1Fに設置されて鑑賞できる予定。お問い合わせP3まで。 P3 art and environment(http://www.p3.org/) E-Mail: joho@p3.org
ブリッジトークの3者のテーマについて「文字化されていなかった一人称の記憶」と書いた。文字化されていないということは、人でも場所でも直接行かねば出会えないということである。とても単純で自明なことだが、その大切さに改めて気づかされてしまった。
忙しいと、好きでやっているはずなのにやらされているような気がしてきて、自分でも何をやっているのかよくわからなくなることが正直ある。特に非営利のアート・プロジェクトだとなおさらだ。わたしは、誰かの記憶を「わたしたちの知」として循環させる「回向活動」をしている、と思えたことで、自分自身がやっていることに穏やかな能動性を取り戻せた。わたしはアートど真ん中の人間ではないけれど、アートに照らされているなあ、と思えるこの頃である。
※1 小野和子 1934年岐阜県高山市生まれ。1958年より宮城県仙台市に在住。1970年より宮城県内の民間説話の採訪を手がける。1975年、仲間と共に「みやぎ民話の会」を結成、現在は顧問。著書に『宮城県の民話』(責任編集、偕成社)他。
※2 谷山恭子展覧会『One’s Ubiety ある人の所在 vol.3』 2015年9月23日〜10月4日 UTRECHT/NOW IDeA
※3 『ドイツ写真家の見た新潟 European Eyes on Japan / Japan Today vol.11』ハンス=クリスティアン・シンク写真展 2015年10月23日〜11月8日 金升酒造 二號蔵ギャラリー 主催:写真の町シバタ・プロジェクト実行委員会 ゲスト・キュレーター:菊田樹子 助成:EU・ジャパンフェスト日本委員会 協力:写真文化首都 北海道「写真の町」東川町 後援:ドイツ連邦共和国大使館・新発田市
※4 曹洞宗 萬亀山 東長寺 「結の会」発足並びに「文由閣」建立記念『回向 ―― つながる縁起』展 2015年7月11日~10月12日 P3 Project Space・東長寺 主催:東長寺 企画制作:P3 art and environment
※5 インゴ・ギュンター《Seeing Beyond the Buddha》は2015年12月より文由閣1Fに設置されて鑑賞できる予定。お問い合わせP3まで。 P3 art and environment(http://www.p3.org/) E-Mail: joho@p3.org
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